2005年08月31日

ビートルズが20ポンド紙幣に? 若者の反乱はどうなるの?

イタリアのニュースではないのだけれど、イタリアの新聞のwebサイトに出てたので。
もしかしたら、2008年に、ビートルズがイギリスの20ポンド紙幣になるかもしれないそうです。
2008年は、リバプールが欧州文化首都に選ばれて、欧州文化のお祭りが行われるかららしい。
その年に合わせて、リバプール出身のビートルズをイギリスの20ポンド紙幣にしようという動きがあるようです。EUが統合されて、ヨーロッパの通貨はユーロなんだけど、イギリスはそれに反対して、未だに独自通貨を使っています。
ポンド紙幣の肖像として使われた最も若い人は、1857年生まれの作曲家のエドワード・エルガーだそうで、もし、ビートルズが紙幣の肖像となるとすると画期的なことみたいです。

ここからは、僕の感想。
2008年は、1968年の世界的な学生運動と社会変革の運動から40年。当時20歳だった人は60になります。
現代史を見る時に、1968年という年は、実にエポックメイキングな年であり、社会的に大きな変化が起きた年でもあります。起きたというよりも、若者たちが起こしたって言う方が正しいと思うけど。
そのうち、このブログの「本」のカテゴリーで紹介したいと思っている。イヤコポ・フォーの本のにも、今の文化があるのは、1968年のおかげだという主旨のことが書いてあります。
今年が、世界が大きく変化した戦争から60年。その後に来た世界を巻き込んでの大きな社会変化の年が68年だとすると、間もなくそれから40年が経つわけです。
果たして僕の予感が正しいのかどうかは分からないけれど、直木賞作家の奥田英朗の最新作(読んでませんが)が、元過激派のおとーさんを描いているとか、団塊の世代が老後をどう過ごそうとしているのかが、マスコミで少しずつ報道され始めている現状を見ると、そろそろ、また、何か面白い変化がやってくるのか知らんと期待してしまいます。
1968年の若者の反乱の年から40年を経た2008年に、ビートルズが紙幣になるのだとしたら、それは象徴的なことであると共に、国家の枠組みに取り込まれてしまって紙幣になるというネガティブなイメージを思い描いてしまうのだけれど、68年当時の若者の熱い思いが、40年経って、初めて体制側に認められるっていうことなのかなとも思います。
しかし、それにしても、言葉ではうまく言えないのだけれど、もっともっと、精神的な高揚感をともなうような、お祭り気分にさせてくれるような、今の社会を変えるための、大きなうねりを夢見てしまうのは、僕の単なるノスタルジーなのでしょうか?
閉塞感が支配しつつある今の世の中で、その現状をどうにかしたいと思っている人は、年齢に関係なく増えていると思うのだけれど、それが暴力的な爆発ではなく、もっと創造的なパワーとして、一緒になれる方法はないのかなーー?と思ってしまいます。
僕は68年世代には遅れてきた人ではあるのだけれど、68年当時の若者の反乱を経験し、そして挫折を味わった人たちが、もっともっと発言をして欲しい。当時の熱い思いを伝えて欲しい。それによって、今の若い人たちに刺激を与えて欲しいと心から思っています。
じゃあ自分はどうするの? って思うと、本当に何が出来るのだろうと考えてしまうけれど、中間世代に生まれてしまったからには、二つの世代を繋げるような役割ができればなーなんて思ってます。
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イタリアの政治家たち3 カルロ・アゼーリョ・チャンピ

1999年5月13日に、第10代イタリア大統領に選ばれ、現在もその職にある。
まず、イタリアの大統領についてちょっとだけ説明。
イタリアの大統領は、国会議員と各州の3名の代表による投票によって選出される。選挙人の3分の2の得票が必要。任期は7年だ。
アメリカのような直接選挙によるものではない。
一応、国の最高権力者ではあるが、フランス大統領やアメリカ大統領のような強い権限は持っていない。
イタリアのことについて、実によくまとめてあるItalia onlineというサイトがあるので、詳しいことは、そちらを見て頂ければと思う。
ただ、情報量が多い割に、ナビゲーションが良くないので、見たいところを見つけるのが大変かも、大統領については、ここが良いでしょう。現大統領チャンピが選出されるころの記事のようです。
大統領の名前がニュースなどで、よく出てくるのは、内閣を組閣する際に首相となるべき人物を指名する時(首班指名)だ。
また、大統領は、年の最後に、新年に向けて演説を行う。これがある意味、イタリアの現状と目指すべき方向を提示するものとなる。
大体において、大統領は人格者であり、国民の多くが共感を寄せる人物である。人気が高かったのは、第7代大統領サンドロ・ペルティーニだ。
ちなみに、大統領府は、クイリナーレ宮殿にあるため、新聞などではQuirinaleと書かれる。
現大統領、チャンピは、1920年12月9日生まれ。リヴォルノの出身。
若い頃から、イタリア銀行に勤め、最後はイタリア銀行総裁の職を務める。(ついでに、イタリア銀行は、その建物のある通りから、新聞などではvia Nazionaleと書かれます。)
この前の記事にも書いたが、1993年から1994年にかけて、首相として政治家ではない、技術官僚あるいは実務家内閣として政府を率いて、選挙法の改正、多くの公社の民営化などを行い、政治的にも経済的に危機にあったイタリアを立ち直らせた。
彼が行った選挙改革により、結果的には、ベルルスコーニ内閣が誕生するわけだ。
1996年にオリーブの木によるプロディ内閣が誕生すると、その国庫大臣を務めた。
その後、EUや世銀の要職を務め、1999年にイタリア大統領に選ばれた。
イタリア語の分かる人は、ここをどうぞ。
そうそう前回のプロディのページはここです。
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2005年08月30日

メヒコの山の中の話 再訪編1

メキシコ滞在の期限(1年間のプログラムだったので)が迫ってきた頃。どうしても、もう一度ゲレロ州のあの村を訪れなければと思い。帰国前に再訪することにしました。
僕が居たのは、標高2600メートルの町。そこから、クエルナバカを通り、アカプルコで乗り換え、ゲレロ州まで行きました。アカプルコに着いて、空気を吸うと、そのまったりと濃いこと! 空気がズルズルと鼻の穴の中を通っていく感じで、思い切り息を吸わないと呼吸が出来ませんでした。
途中から小型トラックに乗り継ぎ、どうにか村に到着。早速世話になった農業技師の所へ挨拶へ行きました。そうしたら、前回お世話になった時に妊娠していたお連れ合いに、赤ちゃんが無事誕生していました。抱いてごらんと言われ、恐る恐る抱いたのがこの写真。
bebe.jpg
次いで、お世話になったセニョールの家に行くと、何と息子さんの結婚式があると言われました。
庭には、宴会用の特設会場が設営作業が進んでいました。
festa01.jpg
周りの森から切り出した木と枝で、小屋を造り、そして飾り付け。
festa02.jpg
その一方で、宴会料理の準備も進んでいました。
周りを走り回っている七面鳥や鶏をまず捕まえます。
cibo02.jpg
それを抑え込んで、喉をナイフで切り
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さっとお湯に通して
turkey2.jpg
羽をむしります。
cibo01.jpg
取りきれない小さな羽毛は、焚き火にかざして、燃やしていました。

そしていよいよ結婚式です。その模様は、次回ね。
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深夜は解放されているか?

ちょっと個人的な思いを書いてみます。

かなりおーむかし、AMラジオの深夜放送がブームだった頃、TBSラジオのパックインミュージックのパーソナリティ(当時はこんな言葉もなかったけど)の桝井論平が、「僕は深夜を解放する」って本を書き、若者たちは、深夜放送に多くの共感を持って、葉書や手紙でいろんなことを投稿していた。
そこには、思春期の若者らしい、様々な悩みや例えば性に対する好奇心などが満ちあふれ、実に独特の雰囲気と、ある種のサブカルチャーを形作っていた。確かに当時の若者にとっての解放区であったと思う。
当時の深夜放送について、こんなサイトがありました。

今や深夜ラジオは、NHKのラジオ深夜便が人気で、聴取者層は、中高年のようです。

じゃあ、今、深夜はどうなって居るんだろう? と思う。
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2005年08月29日

イタリアの政治家たち2 ローマノ・プロディ

ベルルスコーニの次はやっぱりプロディでしょ。
かつては、中道左派政党の連合体、ウリーヴォ(オリーブの木)を率いて、ベルルスコーニの「自由の極」に対抗し、1996年の選挙で中道左派政権を作った立役者です。
現在は、欧州委員会の委員長の任を終え、イタリアに戻ってウニオーネというあらたな中道左派政党の連合体を作って、次回の選挙の準備中。
でも彼も、生粋の政治家ではなかったんです。

ローマノ・プロディ(Romano Prodi)
1939年8月9日生まれ。出身はレッジョ・エミーリャ州のスカンディアーノ。
ボローニャ大学で経済を学ぶ。その後もアカデミズムの世界で経済を教えていましたが、1982年にIRIの総裁に任命されます。IRI(イタリア産業復興公社)とは、元々戦前のファシズムの時代、1929年の世界恐慌で、傾いた産業界を立て直すために、国家が多くの企業を買い取って、再建するためにできた公社です。これにより、イタリアの株式会社の20%が国家に買い取られたと言います。本来は一時的な措置だったはずが、1937年に国が正式のその存続を認めることになりました。
戦争が終わると、今度は戦後復興のために、IRIは国家持株会社として生き残ります。同時に戦後復興のためにエネルギー部門を扱う国家持株会社、ENI(イタリア炭化水素公社)も設立されました。この辺は、政治家の話からそれてしまうので、機会があったら説明します。
さて、プロディがIRIの総裁になったのは、傾いたIRIを立て直すためで、経済学者として手腕を振るい、IRIの立て直しに成功します。この時に、彼は政治家との駆け引きをせざるを得ず、IRIの立て直しは、自分にとってはベトナム戦争のような物だったと語ったと言います。
短命政権が続き、イタリア政界が混乱する中、1993年にテクノクラート内閣と呼ばれる、政治家ではないカルロ・アゼーリョ・チャンピの内閣が誕生します。ちなみにチャンピ現在のイタリア大統領ですが、彼については次の回にでも書きます。
この時、再びプロディが呼ばれて、再びIRIの総裁になります。
しかし、彼はあくまでも、学者として、またテクノクラートとして政権に関わっていただけで、政治家ではありませんでした。
1994年にベルルスコーニ内閣が誕生すると、自らの職を辞し、政治の世界へと身を投じることになります。
こうして、オリーブの木が誕生するわけです。彼は、遊説バスを仕立てて、イタリア全土を回ります。1996年4月、プロディをリーダーとする中道左派勢力=オリーブの木が勝利をし、彼が首相となります。
しかし、あくまでも中道左派であった彼は、左派勢力との摩擦が生じて、1998年に政権の座を降りました。その後は、欧州委員会の委員長として、ヨーロッパを舞台に政治活動を行いましたが、2004年10月に任期が切れると共にイタリアに戻って、再びイタリア政界で活動を始めました。
通称Il Professore=教授と呼ばれています。
かなり大雑把ですが、とりあえずこんなところで今日はお終い。
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ハリケーン、カタリーナ

巨大ハリケーン、カタリーナが、メキシコ湾で暴れ回ってますが、どのくらい大きいのか実感できなくて、ちょいと比較画像を作ってみました。
katarina.jpg
こうして、日本列島と並べると、その巨大さが分かりますね。
これも地球温暖化が原因なのでしょう。
そんなことを考えながらレップブリカを見ていたら、アメリカ北東部の9つの州(New York, New Jersey, Connecticut, Delaware, Maine, Massachusetts, New Hampshire, Rhode Island, Vermont)が、独自にCO2の排出規制を義務づける条約を結ぶという記事が出ていた。
ブッシュは、京都議定書への署名を堅くない拒んでいるけど、(そして国際的に顰蹙をかっているけど)、アメリカ国内でも、見放されて始めてるのかもしれない。
アメリカのニュースなので、英語で探してみたら、CNNに詳しく出ていた
これらの動きは、北東部の州ばかりでなく、西海岸のカリフォルニアやシアトルなどでも同様の動きがあるようで、国家の意思ではなく、地方自治体独自のイニシアチブでの環境問題への取り組みが始まっているようだ。
もっとも、この北東部の州による規制をとりまとめたのは、ニューヨーク州知事で、彼は共和党の次期大統領候補の一人と目されているそうで、純粋に環境のことを考えてというよりも、やっぱり政治がらみではあるみたいです。
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2005年08月28日

週末はラーメン9+α

えー、今週の金曜日の晩は、メキシコ料理を食べました。いったい何年ぶりだろう?でも、舌って味覚をきちんと覚えているんですね。いやーほんとに懐かしい味でした。
そして土曜日のお昼はイタメシ。こっちはそこそこだったかな?
で、ラーメンですが、土曜日は都心に居たので、帰り道に渋谷で下車。久しぶりに喜楽のラーメンを食べました。焦がしニンニク油がやっぱりうまい。麺は、普通のラーメンにするとかなり太めの平打ち麺。二郎を食べ慣れてくると物足りない感じはありますが、それでも良い歯ごたえでした。
日曜日は、とにかく朝食を軽めにして、どこの二郎に行こうか悩みました。(完全に二郎中毒ですな)。
前回完食できかなった小杉二郎に行くことに決定。自転車を走らせました。今日は、曇り空で気温もあまり高くなく、快適に走って、二郎到着。もう列が出来てました。
リベンジとは言っても、食べられずに残すのはしゃくなので、麺少なめを注文。しっかり完食できました。スープはかなりショッパめで、カネシ(醤油味のことをジロリアン用語ではこう言うらしい)が聞いていました。豚は、脂身が多くて、ちょっと残念。肉の部分はかなり柔らかく美味しかったです。
帰りは、多摩川まで出て、二子玉方面へ向かい。二子玉で土手の道を降り、多摩川梨を探しました。自転車の利点は、路地裏まで入れること。いくつかの農家で梨の販売をしていましたが、その中の一軒で梨を買いました。もう幸水から豊水へと変わっていました。おまけにアサヒという今まで食べたことのない梨も1個もらっちゃいました。ラッキー!
それにしても、今週末は、ちーーーとカロリーの取り過ぎかも。ということで、報告お終い!
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イタリアの政治家たち1 シルビオ・ベルルスコーニ

イタリア語の勉強のためにイタリア語の新聞を読んでも政治家について良く分からないと言う話を先日聞きました。僕自身の勉強も兼ねて、改めてイタリアの政治家たちについて、その人物像を書いていこうと思います。
良くも悪くも今のイタリアで最も有名な政治家は、首相のシルビオ・ベルルスコーニでしょう。
ということで、1回目は彼について。イタリア語の分かる方は、ここを見るといいかも。どんな顔か見たい人も写真があるのでどーぞ。

シルビオ・ベルルスコーニ(Silvio Berlusconi)
1936年9月29日生まれ。出身地はミラノ。法学部卒業。
元々は建築業で、ミラノ近郊にあるニュータウンとでも言えばいいのかな、「ミラノ2」の建設で、財をなし、その後1980年にテレビ局を設立(カナレ・チンクエ=チャンネル5)。当時、全国ネットのテレビ放送は、イタリア国営放送とpublitaliaしかなかった。これは、全国放送が法律で認められていなかったから。そこにこのカナレ5で殴り込みをかけたわけだ。全国放送はなかったが、その反面、自由ラジオ運動による地域ラジオ局や、地域のUHF局は、ものすごい数があった。(僕の記憶では、オリビエリ・トスカーニが作成したベネットンのポスターのひとつに、屋根の上に乱立するテレビアンテナの写真があったと思うのだが、当時のイタリアは、まさに小規模テレビ局が無数にあって、ロードショー前の映画が見られたり、日本のアニメのほとんどを見ることができたりした。)
カナレ5の設立には、1978年に彼が設立した持株会社Fininvestがあたった。
その後、他のテレビ局(1982年にイタリア・ウノ、1984年にレーテ4)を次々と買収。メディアの帝王と呼ばれるようになる。
しかし、1985年、民放による全国放送は、法律違反であるという判決が下り、一時彼の持つ民放の画面は真っ暗になった。(当時ローマにいたのだが、本当に真っ黒。でもそれもわずか数日のことだった)。
そこで彼が泣きついたのが、当時首相をやっていたベッティノ・クラクシー。社会党の党首でもあったんだけど、短命政権の続いたイタリア政治の中で、長期政権の記録を伸ばした人、でも汚職まみれの政界を作っちゃったことでも有名です。結局亡命先のチュニジアで死亡。クラクシーについては、別の機会に書きますね。
クラクシーは、ベルルスコーニのために特別に法律まで作って、全国放送を可能にしました。
もちろん裏金が一杯使われたって噂があります。
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ただ風が冷たい日 読了

北方謙三の本は、時々読むんだけど、最近はワンパターンでつまらない。
この本もそう。
中身がなんにもない。でも、読ませてしまう小説家の文章作成技術ってすごいなー、と内容とは全然違うところを見て、感心しました。
簡潔でありながら、きちんと分かる文章になってる。冗長な文章しか書けない僕には、勉強になりますね。
内容は、関係なくね(くどい!)。
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2005年08月27日

リアルとヴァーチャル

リアルな世界ではあり得ないような、年齢も性別も地域も国もバラバラなのに、コミュニケーションできちゃうのがネットであるわけだが、そのネットという道具を使って広がっていく人間関係も、道具をどう使うかによって、全く違った様相を見せてくれる。
そしてリアルとヴァーチャルの接点ともいえるのがオフ会。

今週末は金曜、土曜と2つのオフ会があった。
僕のブログからも推測できるかもしれないが、スペイン語系とイタリア語系のオフ会でした。
この週末のオフ会は、集まった人が、それぞれ同じ物に興味を抱いていて、その事に関する情報交換が元にあったせいか、チャット仲間のオフ会とは、やや趣が違った。もちろんみんなハンドルネームだし、リアルな部分についてはほとんど知らない。でも、ある意味、共通する経験を持っていたりするので、比較的話しやすかった。笑ってしまったのは、東京の真ん中で、ラテンアメリカのある国の都市の街角風景について事細かなところまで話が弾んだりしたこと。


僕が初めて参加したオフ会は、チャット仲間のオフ会だったのだが、リアルな友人との飲み会とは違う雰囲気で、戸惑いもあったけど、面白くもあった。皆が、本名ではなく、ハンドルネームで呼び合うのも新鮮だったし、思想的背景も、趣味もほとんど知らない人たちと一緒に飲むってことも新鮮だった。
チャットのログとは全然印象の違う人もいれば、やっぱりねって人もいる。初対面なのになんとなく気が合うかもしれないという人もいれば、あんまりお友達にはなりたくないかな? って人もいる。
ただ、会話は、どうしても、相手の背景を知らないぶん、表面的になるし、突っ込んだ話をしようと思う時には、リアルな友達以上に、触れてはいけない部分を避けるようにして、なんとなく腹の探り合いになってしまう。そしてある意味当然なのかもしれないけれど、酔いが回るに従って、その場を楽しむことに力点が置かれ、大はしゃぎの宴会となっていく。
それは、それで楽しいのだけれど、終わった後には、なんとなく虚しさが残った。
所詮はヴァーチャルな中での関係が元になっているわけで、そうそう簡単にはリアルな部分での人間関係が深まるわけもなく、指さし確認をしながらが、すこーしずつ、関係性の距離を縮めていくということになるのだと思う。あるいは、本来そういったことを求めるべきものではないのかもしれない。
特にチャットの場合は、良くも悪くもリアルな部分で満たされないものを満たそうとしている感じがあって、リアルな世界の自分とは違う、ヴァーチャルな世界の人格が形成されていたりするので、リアルとヴァーチャルのギャップが少なからず存在するように思う。
まあ、中には、ネットで運命的な出会いって奴に遭遇する人もいるようですが、それはそれとして充分にあり得ることだと思っている。

自分が今どこにいるのかな? ってことを確認し、周りにどんな人たちがいるのかを知るためにも、これからも機会があったらオフ会に参加しようかなーと思っている。
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2005年08月26日

短信をいくつか。

以前お伝えした、アリタリアのストは、今月末ではなく、9月6日と7日に変更とのこと。

セリエAの試合は、今週の日曜日28日より開始されるが、未だに混乱状態らしい。
フーリガンによる暴力沙汰が起きないように、全座席に番号を振って、誰がどこに座っているかをはっきりさせるという方針がとられたものの、競技場によっては、それが終わっていないのに、チケットを発売してしまったところもあるとか。

また、セリエBに関しては、まだモメているようで、この土曜日の試合は延期される模様。
一方、トリノで暴力事件が発生。トリノ(サッカーチーム)の51%を買い占めた実業家が、その持分を地元の実業家に譲ろうとせず、また、過半数を維持しようとしたため、それに怒ったフーリンガンたちが暴れたらしい。

8月最後の週末となるこの土日には、およそ1500万人のイタリア人が、ヴァカンスから戻るために大移動をするらしい。

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イラクで人質となったイタリア人解放までの秘話

昨日のイタリアの新聞La stampaに、イタリア赤十字の前特使、シェッリのインタビューが掲載された。
彼は、当時、イラクに派遣されていて、イタリア人人質の解放のために尽力した人物。
インタビューの中に、イタリア政府とブッシュ政権の関係を危うくさせるような発言があって、議論を呼んでいる。
La stampaの記事は、かなり詳細で、当時の緊迫した状況がよくわかる。
人質となっていた、二人のシモーナの解放にあたっては、仲介役となった人物から、解放の交換条件として、戦闘中に負傷した4人の人物を治療するように言われたという。この4人は、テロリストの疑いをかけられ、アメリカから追われていた。赤十字の事務所の前には、アメリカの検問所が二つあり、彼らの目をごまかすために、医薬品を搬送するという名目で、救急車とジープを出し、4人を密かにピックアップして、毛布や医薬品の箱の下に隠して運び込んで、赤十字病院で治療したという。
この行動について、イタリア政府の見解は、勝手にやったことだと言うものだが、非公式な形でイタリア政府にも伝えたとシェッリは言っている。
建前上は、アメリカの同盟国なわけだが、人質を助けるためには、アメリカに敵対する行為を行わなければいけなかったということだ。
そして、この作戦で、軍上層部の考えとは対立することを知りつつ、尽力したのが、イタリア軍のニコラ・カリパリだという。彼は、その後起こった人質事件(マニフェスト紙の記者、ジュリアーナ・スグレナ)の際にも、人質解放に尽力した。
ジュリアーナは、僕がむかーしイタリアにいて、平和運動に関わっていたころに、一緒に活動したことのある人で、彼女が人質になった時には、本当にびっくりしたし、心配でもあった。無事に解放されてホッとしたのだが、その際に、彼女をアメリカ軍の銃弾から庇おうとして、自ら撃たれ、死亡したのが、カリパリだ。
アメリカ軍がなぜ、解放されたイタリア人を飛行場まで送ろうとしていたイタリア軍の車両を銃撃したのか、その真相は、未だに明らかにされていない。
アメリカ政府は、この件に関しては一切のコメントを出していないようだし、イタリア政府は、勝手にやったことで知らなかったと言っている。
シェッリが語ったことで、ほんの少しだけ、真相が垣間見えた感じだが、その全体が明らかになる日はくるのだろうか?
日本人人質解放に際しても、同じような秘話があるんだろーなー、と想像してしまう。
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2005年08月25日

メヒコの山の中の話 プエブラ編4

結局、先生たちのストが長引いてしまい、目途が立たないため、ちょうどその村に巡回してきた獣医さんが山を下りるの時に、一緒に山を下りることにしました。
車が入れる麓の村まで来ると、獣医さんは、もうひとつ仕事があるからということで、その仕事を見学。
放牧されている雄牛を捕まえて、去勢するところを見ました。
cowboy01.jpg
それは、まさにカウボーイの世界! 投げ縄で牛を捕まえ、ロープで引っ張って横倒しにします。馬に乗って、カウボーイハットをかぶっているのが獣医さんです。
cowboy02.jpg
そして、虚勢をすると、消毒薬を塗り、お終い。
肉牛にするためには、去勢しないと肉が固くなってしまうからだそうです。
仕事が終わると、村人たちが集まってきて、感謝の祝宴です。
10人くらい集まり、まず、一人が、全員に、ビール(日本の小瓶くらい)を全員に振る舞います。
それを飲み終わると次の人が、全員に振る舞う。その繰り返しで、一回りすると、10本のビールを飲むことになります。それでお終いかと思ったら、大間違い! 次は、ケース単位です。
一人が1ケースを振る舞います。小瓶だったから、多分2ダースはあったと思います。つまり、2本は飲まないといけないわけです。
1周すると、20本のビールを飲むことになります。宴が終わった時は、僕はもうベロベロ。車を運転するはずの、獣医さんもかなり酔っていたはず。僕はトラックの荷台に乗り込み、寝袋を抱えて、爆睡です。とはいっても、ものすごい山道。加えて酔っぱらい運転ですから、揺れること揺れること。夜道をどれくらい走ったのか覚えていませんが、僕はその後、ベラクルスを目指して旅をしようと思っていたので、バスの通る町に出たところで、降ろしてもらいました。
その時は、全く気が付かなかったのですが、トラックの荷台に積んであった、消毒用の薬の瓶が、割れて、僕の寝袋に付着していたのでした。
旅を続けるうちに、何やら背中が焼けるように痛くなるのです。どうしたのかと思ったら、寝袋に付着した薬液の水分が蒸発して濃縮され、それが皮膚を刺激していたのでした。
気が付いた時は、寝袋の内側の布はボロボロ。慌てて水洗いをして、穴の開いた部分を、たまたま持っていた端切れで繕いました。今でも、その寝袋は、想い出の品として、僕の手元にあります。
プエブラ編は、ここまで。次は、ゲレロ州の村を再訪した時に話です。
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ソーラーエネルギーを推進?

Beppe Grilloのブログにあったもうひとつの話が、イタリアの生産活動省が出した新しい省令。
元の記事は、イタリアの経済紙IL SOLE 24 OREのようです。
それによると、ソーラー発電を設置して、余剰電力を売る場合、普通の3倍で買い取るということのようです。
イタリアは、原発を廃止した後、電力エネルギーを外国から買っていたりするようで、少しでもエネルギー自給率をあげたいというところのようです。
こういったオルタナティブ・エネルギーを奨励する一方で、生産活動大臣のスカイオラは、国内では建設できない原発を、外国に作って、そこから電力を輸入するための条約を結ぶ準備をはじめたとも述べています。
んーーーー、なんと言っていいのか、、、、
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The California million solar roofs bill

以前紹介したBeppe Grilloのブログを見ていたら、カリフォルニアの新築建造物の屋根にソーラー発電パネルを設置することを推奨する法律が出来たという話があった。
イタリアの新しい法案についても書いてあったんだけど、それは、イタリアのニュースのところで書きます。
ググッて見ると、この法律の制定を進めているThe Vote Solar InitiativeのHPが見つかった。
大雑把に言うと、カリフォルニア州の補助金と減税措置によって、2018年までに、100万のソーラー発電パネルを設置しようというもの。
大規模宅地を建設する業者には、建設する建物の半分にソーラーパネルの設置を促し、低所得者層には、推進するために経済的援助を行い、ビルなどについては、高効率エネルギー利用ビル、あるいはゼロエネルギービルに対して大幅な減税を行うという。

太陽いっぱいのアメリカ西海岸だから有効なのかもしれない。新しい試みとして、注目したいですね。でもシュワちゃんは、なんていうのかな?
英語のわかる人は、PDF化された、詳細な文章があるので、それを見てください。

ただ、昔聞いた話だと、ソーラー発電のためには、良質なシリコンが必要となり、大規模なソーラー発電を行おうとすると、その原材料である良質な珪素をたくさん含んでいる湘南海岸の砂がなくなるかもしれないそうです。
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2005年08月24日

vita spericolata

Vasco Rossiという歌手がいます。イタリアのロックスターです。
麻薬に溺れ、自堕落な生活をしながらも、常にトップスターの彼は、数々の名曲を歌っています。
最近、彼の歌の全詩とコンサートの模様を納めたDVDがイタリアで発売され、かなり売れているようです。僕も買ってしまいました。
そんな彼の歌の中から、イタリアのボブディランとも言われるフランチェスコ・デ・グレゴリもカバーしている。Vita Spericolataを訳してみます。歌の内容は、まさに彼の人生そのものって感じですね。
歌は、音源がないと伝わりにくいと思うし、詩については著作権の問題もあるはずなので、本当はいけないのかもしれないけれど、web上に公開されているので、よしとして、試訳をしますね。

Vita Spericolata
メチャクチャな人生

僕は無鉄砲な人生を送りたい
そんな風な人生を
どうでもいい人生を
すべてがどうでも良いような
しまったと思わないような人生を
寝ることなどないようなそんな人生

そしていつか僕らは、スターになり
ロキシー・バーでウィスキーを引っかける。
でも、もしかしたら、もう二度と会うことはないかもしれない。
みなそれぞれ厄介ごとにまみれ
それぞれの道を歩む
人はそれぞれ
自分のことに埋もれる。
僕は無鉄砲な人生を送りたい
そう、映画のような人生を
過剰なまでの人生を
スティーブ・マックィーンのように
しまったと思わないような人生を
寝ることなどないようなそんな人生
トラブルいっぱいの人生を送りたい。
どんな人生になるのか
見てみようじゃないか

VOGLIO UNA VITA MALEDUCATA
DI QUELLE VITE FATTE FATTE COSI'
VOGLIO UNA VITA CHE SE NE FREGA
CHE SE NE FREGA DI TUTTO SI'
VOGLIO UNA VITA CHE NON E' MAI TARDI
DI QUELLE CHE NON DORMO MAI
VOGLIO UNA VITA DI QUELLE CHE NON SI SA MAI
E POI CI TROVEREMO COME LE STAR
A BERE DEL WHISKY AL ROXY BAR
O FORSE NON C'INCONTREREMO MAI
OGNUNO A RINCORRERE I SUOI GUAI
OGNUNO COL SUO VIAGGIO
OGNUNO DIVERSO
E OGNUNO IN FONDO PERSO
DENTRO I CAZZI SUOI
VOGLIO UNA VITA SPERICOLATA
VOGLIO UNA VITA COME QUELLE DEI FILM
VOGLIO UNA VITA ESAGERATA
VOGLIO UNA VITA COME STEVE MCQUEEN
VOGLIO UNA VITA CHE NON E' MAI TARDI
DI QUELLE CHE NON DORMI MAI
VOGLIO UNA VITA, LA VOGLIO PIENA DI GUAI

E POI CI TROVEREMO COME LE STAR
A BERE DEL WHISKY AL ROXY BAR
OPPURE NON C'INCONTREREMO MAI
OGNUNO A RINCORRERE I SUOI GUAI
OGNUNO COL SUO VIAGGIO
OGNUNO DIVERSO
E OGNUNO IN FONDO PERSO
DENTRO I CAZZI SUOI

VOGLIO UNA VITA MALEDUCATA
DI QUELLE VITE FATTE FATTE COSI'
VOGLIO UNA VITA CHE SE NE FREGA
CHE SE NE FREGA DI TUTTO SI'
VOGLIO UNA VITA CHE NON E' MAI TARDI
DI QUELLE CHE NON DORMI MAI
VOGLIO UNA VITA
VEDRAI CHE VITA VEDRAI

E POI CI TROVEREMO COME LE STAR
A BERE DEL WHISKY AL ROXY BAR
OPPURE NON C'INCONTREREMO MAI
OGNUNO A RINCORRERE I SUOI GUAI
OGNUNO COL SUO VIAGGIO
OGNUNO DIVERSO
E OGNUNO IN FONDO PERSO
DENTRO I CAZZI SUOI

posted by tady at 22:25| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | musica | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

また、落ちた。

ペルーで航空機が墜落した。しかし、ここのところ、異様なほどに墜落事故が続いている。
イタリアの新聞から拾っただけでも、下のようになっている。日にちは、新聞掲載日だったりするので、多少ずれているかもしれないが。それにしても多い。
8月1日 カナダ、トロントの飛行場で航空機火災
8月5日 パレルモ近海で航空機墜落
8月13日 イタリア、カラブリアで小型機墜落
8月14日 ギリシャで航空機墜落
8月17日 ヴェネズエラで航空機墜落
8月23日 イタリア−スイス国境で小型機墜落
8月23日 ペルーで航空機墜落41人死亡57人負傷
ウィキペディアに「航空事故」が年代別にまとめられているページがあったので、リンクを張っておくが、それにしても、異常な感じがする。
どう思われます?
posted by tady at 16:54| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シンディ・シーハンの闘い

8月23日付のil manifesto(イル・マニフェスト=イタリアでも多分最左派の新聞)にシンディ・シーハンが寄稿していました(もちろんイタリア語に翻訳されてましたが)。
今まで、知らなかったので、へえーと言う感じで読み、このブログで紹介しようかと思ったら、もうちゃんと、日本語で紹介しているサイトがありました。
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Iraq/actual_state05-7.htm
イラク戦争の死体の写真を載せるサイトがある一方で、こういった運動が起きているということは、アメリカの良心を見る思いがします。
9.11の映画化の話も出始めているとお伝えしましたが、少しずつ、アメリカが変わり始めているのかもしれません。
さて、僕らの住む日本は変わることが出来るのかな? 変えることが出来るかどうかは、分からないけど、9.11には、投票に行こうと思ってます。
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2005年08月23日

イタリアの海は汚れ気味

今年もまた、レーガアンビエテ(イタリア環境連合)の主催するゴレッタ・ヴェルデ(緑のスクーナー船)の調査結果の発表があった。
イタリア環境連合は、イタリアで一番大きな環境保護団体で、毎年ゴレッタ・ヴェルデという帆船を使ったイタリア周辺海域の環境調査を行っている。この調査は1986年から行っていて、20年目を迎える。今年は3艘の帆船がイタリアの海を調査した。その調査結果が、今日発表された。
それによると、昨年に比べて、イタリアの海の環境は悪化しているという。今年は、荒天のせいもあり、海辺への人出はかなり現象しているにもかかわらず(海水浴場の収入が激減したという報道もありました。)、汚染の状況はひどくなっているという。
合格したのは、サルディニアとバシリカータ。カンパーニャ、カラブリア、シシリアの海は不合格だった。
原因は様々ある中で、エコマフィア(とレーガアンビエテが命名した、環境政策を建前に、組織的に不法投棄などを行う団体)の暗躍や不十分な下水処理があるという。
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posted by tady at 22:25| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メヒコの山の中の話 プエブラ編3

確か、参加したボランティアプログラムではこの村への滞在は、2週間だったと記憶してます。
しかし、学校で行うはずだったボランティア活動は、先生たちがストライキ中で、宙に浮いたまま。気候的にも雨期に入っていて、雨に降り込められて、小学校の宿泊所でボーっとした時間を過ごしていました。
村の人たちは、そんな僕らを気にかけていてくれたらしく、村が、政府から財政支援を受けて、取り組んでいるいくつかの事業の手伝いをしないかと持ちかけてくれました。
村が経済的に自立できるようにと、養蜂、羊の牧畜、コーヒーの栽培などが、行われていました。
現実的には、村人たちは、自分たちの生活に手一杯で、中々、これらの事業を進めることはできていないようでした。
下の写真は、養蜂のお手伝いをした時のもの。
ape01.jpg
ape02.jpg
コーヒー豆の収穫も手伝いましたが、コーヒーの実を食べてみてびっくり。外側の果肉はとっても甘いんです。
そして、ある日、村の診療所の女医さんから、昼食会のお誘いがありました。この村もやはり外部からきている人は少なく、彼女も外の人と話したかったのだと思います。
これが診療所の写真
clinic.jpg
当時のメキシコでは、大学の医学部を出て医者になると、最初の何年間かは、僻地の診療所で働くことが義務づけられていたようです。
そんなわけで、彼女のこの村に派遣されてきていたわけ。でも、外部から人があまり入ってこない閉鎖的な村では、地元の人と派遣された医者との間で摩擦が生じる場合も多いと言うことでした。
そして、その時の話でも、「つい最近、北部の村に入った医師が、意思の疎通が取れず、誤解が生じて殺されてしまった。」と言っていました。
結構ショッキングな話だったので、覚えていますが、それ以上に強く記憶に残っているのは、その時ご馳走になった「チレ・レジェーノ」のです。続きを読む
posted by tady at 15:14| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月22日

速報 イタリア中部で地震

イタリア中部で地震があったようです。マグニチュードは4.5。
ヴァカンスで、人々の居なくなった都市で、独居老人が、かなりの恐怖を感じたとのこと。
男性が一人、階段から落ちて死亡とのこと。
地震などあまりないイタリアですから、多くの人がビックリしたようです。
日本のマスコミでも報道されると思うので、速報と言うことで、、、
posted by tady at 23:07| ローマ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イタリアの核廃棄物がややこしいことになっている

G8の中で、唯一、国民投票によって原子力発電を放棄した国がイタリアです。イタリアには、稼働中の原発はありません。
しかし、残された核廃棄物を巡って、未だに様々な問題が山積しており、最終処分地も決定されていません。
そんな中で、なにやらややこしい問題が起きているようです。
原発廃止後の核廃棄物の処理を任されたのは、Sogin(Società Gestione Impianti Nucleari)という組織なのですが、この組織を巡っては、その不透明さに今までも色々な議論が起きていました。
今回は、ロシアとイタリアの間でなにやら訳の分からない条約が結ばれたらしいのです。
コリエレ・デッラ・セラの記事よると、2003年サミットの際に、EUとロシアのトップ会談が行われ、冷戦時代の遺物であるロシアの原潜を解体する費用をイタリアが負担するという約束が、プーチンとベルルスコーニの間で交わされ、イタリアはその見返りに、核廃棄物をロシアに持ち込んで、最終処分してもらうということになったらしいのです。
ところが、ロシアは、外国からの核物質の持ち込みは国際条約で出来ないことになっているらしく、その辺はとっても曖昧。
なのに、予算だけはついて、Soginは、モスクワ事務所を開き、どうやら身内に金をばらまくように、大変な無駄遣いをしているらしいのです。
その件について、国会でも、きちんとした法整備が行われなければならないはずが、ロンドンのテロに際して、イタリア政府が決めた新たなテロ対策法案が審議されたのと同じ日に、どさくさに紛れて、通ってしまったらしいのです。
オリジナルの記事は、かなり長文で、さらに曖昧なので、速報と言うことで、分かった範囲のみでお伝えします。もう少し読み込んで、あと追い記事でも出れば、もうすこしはっきりお伝えできるかと思います。
日本は原発がいっぱい稼働しているし、人ごとではない話です。
posted by tady at 22:52| ローマ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ポルノを見たけりゃ、死体の写真を

ラ・レップブリカによると、ANSA(イタリアの通信社)が配信したニュースとして、ポルノを見たければ、死体の写真を送るように、アメリカの兵士に呼びかけているサイトがあるらしい。
ある、イタリア人ブロッガーが見つけて、彼のブログに載せたという。
記事によると、そのサイトは、フォーラム形式で、イラクやアフガンに派兵されている兵士たちに、面白い写真を提供してくれたら、本来は有料のポルノサイトに無料でアクセスできると呼びかけているらしい。
兵士から送られてくる写真は、炭化した死体や、バラバラの死体など、かなり残酷なもので、主催者は、それらの写真におもしろおかしくコメントをつけているという。例えば「良いイラク人は、死んだイラク人だ」などといった具合らしい。

ちょいと調べてみたら、そのイタリア人のブログを発見。
http://ohiblog.splinder.com/
ここには、それほどひどい写真は載っていませんので、clickしても大丈夫でしょう。
彼が、このサイトの存在を公にしたのは、多くの人にその存在を知ってもらって、議論してもらいたいということのようです。テレビの中の戦争と、本当の戦争の残虐さを知ることをどう考えればいいのかと言うことも含めて、かなり真面目な文章が書いてありました。
それと、大元のサイトについては、法律的問題があるので、URLは紹介しないとコメントしてありました。
posted by tady at 13:30| ローマ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月21日

メヒコの山の中の話プエブラ編2

山道を苦労しつつ踏破し、たどり着いた村で、僕らがお世話になったのが、下の写真のような小学校。escuela.jpg
小学校ではあるのだけれど、学校までとっても遠い子供たちのために、半分は寄宿舎のようになっていて、寝泊りができます。子供たちは、月曜日に学校に来て、金曜日に家に帰るという生活を送っていたようです。もっとも、子供も労働力ですから、親としても、子供を学校に送り出すことは中々大変なようで、出席率はそれほどよくなかったようです。
残念ながら、僕らが行ったときは、教員のストがあり(賃金の未払いが原因だったようで)、結局、僕らは、何にもできなかったのでした。僕らは、子供たちの宿泊施設に寝泊りすることに。
問題は、食事で、当てにしていたものが、全くなくて、最初の数日間は、自分たちで学校にあるものを使って、調理して食べていました。そのとき初めて見たのが、粉卵。アメリカ人の子が、見つけてきて、これを水で溶いて、焼けば、玉子焼きができるといわれて、半信半疑、やってみたら玉子焼きができました。粉卵があるとは、びっくり。
子供たちと接することはできなかったものの、村の人たちが、いろいろ案内してくれて、村が取り組んでいる事業について、教えてもらいました。その辺は次回に。
posted by tady at 23:55| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大恐竜展と放送ライブラリー

今日は、甥っ子と一緒に、パシフィコ横浜で開催中の「ジュラ紀大恐竜展」に行く。
春に行われた国立科学博物館の恐竜博にも行ったが、それぞれに面白かった。
国立科学博物館の恐竜博は、ジュラ紀末期から白亜紀にかけての肉食竜が、鳥類へと進化していったという説をバックボーンに企画されていて、肉食竜がメインで、その目玉が、ティラノザウルス、スーの骨格標本だった。
今回の「ジュラ紀大恐竜展」は草食竜が中心で、その目玉は、全長20メートルのオメイサウルスの骨格標本だった。
dinosauro01.jpg
その他にも、多くの骨格標本が展示されていた。
dinosauro02.jpg
国立科学博物館の恐竜展に比べて、人出もそれほどでもなく、ゆっくり見られたのは良かった。
その後、放送ライブラリーに行って、ドキュメンタリーを見た。
甥は、ガンダムの第1話とゲゲゲの鬼太郎を見たようだが、僕は、1991年名古屋テレビ放送製作の「シャッターがきれなかった二年間 あるイタリア人の昭和」を見た。
この作品は、第二次世界大戦中に、日本にいたイタリア人、フォスコ・マラニーニとその娘、ダーチャ・マライーニを描いた作品だ。
今やイタリアを代表する女流作家であるダチャ・マライーニが、当時日本に居たことは、なんとなく知っていたが、その時の模様を詳しく描いたドキュメンタリーで、大変勉強になった。
当時、イタリアは日独伊三国同盟の一員であったのだが、ムッソリーニ政権がパルチザン闘争により倒され、連合軍側についたことにより、日本にいたイタリア人は、同盟国の人間から敵国の人間へとその立場が変わってしまった。それにより、彼らは強制収容所に入れられてしまう。
歴史の教科書には出てこないであろう、戦争の狭間で生きた人々の話が、大変重かった。
一番最後に字幕で出てくるフォスコ・マライーニの言葉が印象的だった。
放送ライブラリーは、「放送番組センター」によって運営されているライブラリーで入場も、映像鑑賞も無料。テレビアニメからバラエティー、報道やドラマ、ドキュメンタリーまで、数多くの番組を見ることが出来る。ラジオ番組の視聴も可。機会があったら訪れることをお薦めします。
posted by tady at 20:17| ローマ ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

週末はラーメン8

土曜日は、日吉のポクポクポクチンに行くことにする。二郎インスパイア系ということで、あちこちのラーメンブログで紹介されていた。二郎三田本店も慶応のそば、ここも日吉の慶応のそば。慶応の学生は、この手のラーメンが好きなのかな?
自転車で走り出すと、ツクツクボウシの鳴き声が。やっぱり夏は終わりだなーと思う。
行列店でもなさそうなので、焦ることなくゆっくりと自転車を走らせた。
店に着くと、客はゼロ。新発売になったという、ニンニクポタージュ風スープのポクチンをオーダー。そのうちに、3人ほど客がやって来た。
出てくるまでにかなり待たされた。今ひとつ手際が悪い感じ。
出てきたのは、モヤシとキクラゲの千切りを炒めた物がたっぷりと乗った、極太麺。スープはかなり濃厚。
食べ始めたが、やはりかなり重い。二郎のヤサイは、モヤシとキャベツを茹でた物だが、炒めてあるぶん、かなり脂っこい。肉は、火口の上に陶製の窯を乗せて、その中で焼いた物、かなり噛みごたえがある。麺は太いのだが、二郎のような味わいには今ひとつ足りない。確かにニンニクはかなり効いていたが、夏の暑い時期には、こってり過ぎて、持てあました。
帰りは、鶴見川に出て、川岸の道を遡上。川風がかなり吹いていて、本来なら爽やかなはずなのだが、さすが、汚さワースト3に入る鶴見川。どぶ川のような臭いがきつい。
自転車で鶴見川をよく行ったり来たりするのだが、しばしば、鶴見川流域ネットワーキングの人たちが、河岸の清掃と啓蒙活動をやっているのに出会う。いつも頭が下がります。
以前鶴見川の源流まで自転車で行ったことがあるけど、住宅街の一角からわき出ていた。その水は綺麗だったのだけれど、あっという間にそれが汚れていくんですね。哀しい限りです。
posted by tady at 17:37| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月20日

メヒコの山の中の話 プエブラ編1

ゲレロ州の村から帰ってきてしばらくしてから、今度はプエブラ州にある山の中の村に行くことになりました。
小学校のお手伝いというのが、目的でした。行ったのは、僕とイタリア人の男の子とアメリカ人の女の子の3人。
まず、プエブラに集合し、そこから小型トラックで村に向かいました。荷台に乗って行ったのですが、揺れること揺れること!とんでもない山道を走っているのは分かるものの、外が見えないので、どういう状況かは分かりませんでした。
coche01.jpg
車が止まり、到着したかと思ったのですが、ところがどっこい、目的の村には、車の通れる道が通じていませんでした。麓の村でトラックを降り、その後は徒歩です。
village01.jpg
(ここが到着した村。手前に見えるような小川をいくつも越えて、でこぼこ道を走ってきたのでした。)

山道を歩くのは慣れていると思っていたのですが、さにあらず、本当に険しい道で、途中何度か岩をよじ登らなければなりませんでした。
渓谷の向こうに見える山にも、山肌を這うように続く、ジグザグ道が見えていました。
mountain02.jpg
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posted by tady at 19:00| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

半島を出よ 読了

ようやく、村上龍の「半島を出よ」上下巻を読み終えた。
昔は、通勤時間が結構長かったので、電車の中で読めたんだけど、最近は職住接近になってしまったので、意識して時間を作らないと、中々本が読めません。
そんなこんなで、かなり時間がかかったけど、今日読み終えました。
読後感は、テーマも設定も面白い。ただ、後半の暴力描写は、ちょっと過剰だったような。
元々、村上龍は、そういうの好きみたいですけどね。
彼のデビュー作「限りなく透明に近いブルー」は面白かったのだけれど、それ以降は、あんまり読んでませんでした。それでも、友人に勧められて読んだ「5分後の世界」とその続編「ヒュウガウィルス」は、結構面白かった。
今回の作品の元にある、彼の意識というか思考は、「ヒュウガウィルス」と同じような気がしました。
危機感のない、弛緩してしまった平和ボケの日本社会に対する苛立ちは分かるけど、それに対してどうするか? っていう姿勢は、僕とはちょっと違うな。
現在、世の中は、総選挙に向けて動き出しているけれど、今の日本社会に対して、危機感を持って、政治をどうするのか? と僕ら一人一人が考えることからしか、始まらないのではと思ってます。
posted by tady at 11:09| ローマ ☁| Comment(2) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月19日

須賀敦子さんのこと

このブログを、日記として登録しているミクシィに、アントニオ・タブッキのコミュニティがありました。イタリアの現代作家の中では、比較的日本に良く紹介されている人だと思います。日本でも、彼の作品を好きな人がいるんだなーと思いました。「インド夜想曲」が有名ですが、その他にも多くの作品が翻訳されて日本に紹介されています。それはひとえに、亡くなった須賀敦子さんの功績だと思います。彼女は、翻訳だけでなく、素晴らしいエッセイもお書きになっていて、ここで紹介するまでもないでしょう。
彼女が亡くなる前、上智大学の彼女の研究室を訪ねて、お話を聞いたことがあります。
ローマで知り合ったイタリア人の女性で、ローマの新聞、パエセ・セラの文化欄に記事を書いている人が、来日したおりに、須賀さんにインタビューをしたいと言うことで、付き添いとして、同行したのです。言葉を扱う人間として(僕も翻訳家を目指していますが、、、)、その時に聞いた彼女の言葉はある意味衝撃的でした。須賀さんは、石川淳の「至福千年」をイタリア語に訳したいと言っていましたが、江戸時代を舞台にした作品をイタリア語に置き換えるためには、ラテン語から勉強しなければと、言っていました。言葉の持つ深遠さを思い知らされた話でした。
言葉とは、コミュニケーションの道具であると共に、歴史をも包含した文化なのだその時に思いました。その後、しっかりお寿司をご馳走になりました。
文化と文化繋ぐ、言葉使いになれればと、思っています。
posted by tady at 23:54| ローマ | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月18日

9.11がアメリカでいよいよ映画化されるらしい。

イタリアの新聞レップブリカによると、ユニバーサル、パラマウント、コロンビアが相次いで、9.11を映画化するらしい。
ユニバーサルは、ポール・グラス監督で「フライト93」という作品。パラマウントは、オリバー・ストーンに制作を依頼、主演はニコラス・ケージ。コロンビアは、ニューヨーク・タイムスの記者が書いた「102分」という本を元に製作するとのこと。
今までタブーとされてきた9.11をどのような形で映画にするのか、興味があるところです。
今のイラクの事も含めて、アメリカの良心が、うかがえるような映画ならいいなーと思います。
ハリウッドの活劇映画やアメリカの愛国心を煽るような映画にだけは、して欲しくないなーー。
posted by tady at 21:41| ローマ | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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