2005年09月20日

お知らせ

明日より、中学時代より憧れの地であった、Bonin Islandへ行ってきます。
雷でモデムが使えなくなった時を除いて、毎日更新してきたこのブログですが、旅先のネットワーク環境は、期待できませんので、1週間ばかり、更新は出来ないものと思われます。
せっかく、コンスタントに50人以上の方が、訪れてくれるブログになったのちと申し訳ないのと、ネット社会のスピードでは、1週間というブランクで、忘れ去られてしまうのではないかという不安がありますが、おみやげ話を持ち帰ってきますので、ご容赦ください。
って言っても、それほど期待して見てる方はいないかな?
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今年も起きた、サン・ジェンナーロの奇跡

ナポリのカテドラルで、今年も奇跡が起きた。
サン・ジェンナーロの小瓶と言われる、聖祭用の小瓶の中に、聖なる血が入っていて、普段は固体なのだが、年に3回だけ(9月19日が一番有名、5月の第一土曜、12月16日)液体に変わるという。
中に入っているのは、中世に作られた何らかの化学物質で、振ることによって液体となるのではないかと言われているが、科学的な説明は、未だについていない。
posted by tady at 15:28| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Google Earthで、ローマの遺跡を発見

イタリアのパルマで、インターネットのGoogle Earthマップで自宅近辺を見ていた人が、地表の変化を見て、ローマ時代の遺跡を発見したそうです。
Google Earthは、Googleが提供しているフリーソフトで、Googleマップの人工衛星画像を3Dで見ることができるもの。
CG関係の仕事をしているLuca Moriって人が、地表に目のような形と、真っ直ぐな線が描かれているのに気が付き、単なる画像の乱れではないかと、画像を調べたところ、どうやらそうではなく、その地域に、過去に人が住んでいたことがあるかをチェックしたら、青銅鉄器時代に、集落があったことが分かり、地元の考古学グループと調べてみたら、セラミックなどが出土。ローマ時代の遺跡であることが分かったそうです。
サイバー考古学の新たな始まりかなんて書いてありました。
それにしても、自宅で遺跡が発見できるなんて、大変な時代になったもんだ。
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2005年09月19日

週末はラーメン12

土曜日は、未食の二郎汁なしを食べるために、関内二郎に行くことにする。
真夏に一度通ったのと同じ道を最寄りの駅まで自転車で行く。真夏の昼間には見られなかった昆虫たちが、いろいろと目につく。久々にギンヤンマを見た。子供の頃一生懸命追いかけては、捕まえた時のことなどを思い出す。そいえば、今年はオニヤンマを一度も見なかったな。
二郎に着いたのは、12時を少し回った頃。それほど人は並んでいなかった。
小の汁なしを頼む。ジログ(ジローブログを略してこう言うらしい)では、評判が良かったので、期待していたのだが、どうも、僕の口には合わなかった。元々汁物が好きなので、やっぱりスープがあった方が良いというのが食べた感想。それにしても、そろそろ二郎はしばらくお休みかなと思った。
日曜は、友人の所で昼間から飲み会。夕方、帰宅する途中で七志のラーメンを食す。かなり以前、青葉台の七志で食べた時も、さほど美味しいとは思わなかったのだが、チェーン店化されてから、味が落ちたように思う。どうもあの太麺がダメだった。二郎の極太麺は美味しいと思んだけど、、、
さて、今週は3連休で、今日もお休み。実に久しぶりにくじら軒本店を訪れた。支店がかなり増えたからだろう、一頃のような長蛇の列はなかった。開店したばかりの頃に一度食べて、全然美味しくなくって、もういいやと思っていたら、その後火がついて、評判の行列店となっていた。
それならばもう一度ってことで、何度か食べたが、確かに美味しいと思う。問題は塩分の強さ。最初の一口二口は良いのだけれど、食べ終わる頃になると、かなりしょっぱく感じる。
今回もやはり同じだった。もう少し、塩分控えめだと良いのだけれど、、、
posted by tady at 15:08| ローマ ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メヒコ旅行編2

今、手元に1980年版の「地球の歩き方 アメリカ・カナダ・メキシコ編」がある。
当時から、地球の歩き方は日本人バックパッカーにとって、大変役に立つ本ではあったが、メキシコについては、本当に巻末にちょこっとだけしか出ていない。メキシコとして1冊の本にはなっていなかったのだ。現在のものと比べると、ほんと隔世の感がある。
僕がメヒコを旅行中に出会ったバックパッカーたちのバイブルのような旅行ガイドが「ラテンアメリカ・ハンドブック」だった。かなり分厚い本で、持ち歩くのは大変そうだったが、その詳細な情報には、ほんとうにびっくり。小さな小さな町まで、きちんと紹介してあった。残念ながら、僕自身は購入することが出来ず。旅行中一緒になった人たちから見せてもらって、自分が次に行く町の情報を仕入れたものだ。
旅行中に出会った様々な人の中には、名前までは覚えていないけど、忘れらない人たちが幾人もいる。ベラクルスへの旅でも、何人かいた。
まず思い出すのは、バハカリフォルニアから来たというメキシコ人の若者だ。バハカリフォルニアは、もちろんメキシコ領ではあるのだが、アメリカ人たちの高級リゾートでもあった。現在は日本人も結構言っているみたいだけど。
そこから来た彼の容貌は、まるでアメリカ人だった。詳しい事情は聞かなかったけれど、アメリカ人の血が流れていたのだと思う。
メキシコでは、外国人のことをグリンゴと呼ぶ。他のラテンアメリカの国では、外国人全てをグリンゴと呼ぶ場合もあるみたいだが、メキシコでは白人の外人をそう呼んでいた。日本人は対象外ってこと。この言葉の由来は、米墨戦争のころ、メキシコ人兵士が来ていた軍服が緑色で、米兵立ちがお前らあっちへ行けって意味で「グリーン・ゴー」と言ったのが始まりだと、ドル紙幣が緑色をしていて、米国資本は出ていけって意味で「グリーン・ゴー」というところから始まったとか、諸説ある。でも、いずれにしても、日本で外国人のことを「毛唐」なんて差別的に呼ぶのと同じで、蔑称である。
また色白の人のことをグエロなんて呼び方もある。
メキシコには、侵略者であるスペインの血をひく純粋な白人もわずかにいるけれど、その殆どが、先住民かメスティソと呼ばれる混血の人々だ。

そんな中で、顔はアメリカ人でありながら、メキシコ人であった彼は、旅行中にもよくグリンゴと呼ばれていた。まあ、日本人の僕と一緒にいたりしたから尚更かもしれない。でも、その度に彼の顔が曇る。とても陽気で、気さくな人だったけれど、彼の心の中の葛藤を思うと、なにやら僕もとっても複雑な気持ちになった。
この後であった忘れ得ぬ人は、次回。

そうそう、容貌ってことで言えば、男の僕がドキドキしてしまうほどのラテン系美男子が、たくさん居ましたね。ベラクルス周辺はいい男が多いのか知らん?
posted by tady at 10:30| ローマ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月18日

メヒコ旅行編1

「メヒコの山の中の話」を読んだある友人から、「そんな昔のことを事細かに覚えているなんて、後ろ向きの人生を歩んでいるのではないか」と怒られたのですが、確かにそういうところはあるかもしれません。特にここのところ精神的にはあんまり良い状態じゃないかも、、、
しかしながら、大昔のことをこうして再確認しながら、綴っていくというのも、必要な作業かなとも思っています。
そんな、大昔のことなんて、面白くもないという方もいらっしゃるでしょうし、へーーそうだったんだと新たな発見をする方もいるかもしれない。
不特定多数の人に公開しているのがブログですから、どう受け止められるのかは、個々人違うと思います。
で、とりあえず、続きを書こうかなってことで、今回は、プエブラ州の山の中からベラクルスへの旅です。旅したのは25年前のこと。

プエブラ州から、メキシコ湾に向かいました。途中通過したのが、ポサ・リカという町です。豊かな井戸という意味ですが、このあたりは、石油が埋蔵されていて、道ばたのあちこちに標識が立っていました。
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牛が放牧されている脇に、「ペリグロ=危険」という看板。なんだろうとよく見ると
poza_rica02.jpg
地下に石油輸送管が通っているので、ここを掘り返したり、衝撃を与えたり、建造物を造るなってことでした。
メキシコ原油は、硫黄分が多く、あまり良質とは言えないと聞きましたが、この間見た、メキシコの新聞サイトでは、現在の原油高で、かなりの高値で取引されていると出ていました。

この旅行の後、カリブ海への旅もしたのですが、メキシコ湾で採掘されている石油のオイルボールが、ユカタン半島のカリブ海側に流れ着いて、綺麗な海岸を汚している場面に遭遇することになりました。

ポサ・リカを通過して、パパントラという町で、一泊しました。ここはバニラが有名な町で、町中にバニラの香りが漂っていました。僕は初めて、バニラが植物だと言うことを知ったのがこのまちでした。
マーケットで食べた、タコスがやたら美味しかったのを覚えています。
そして、翌日向かったのが、エル・タヒンという遺跡でした。
el_tajin.jpg
el_tajin02.jpg
この看板の脇に、注意書きがあって、遺跡の見学コースから離れないこと、藪の中にはいると、サソリや毒蛇がいるので注意と書いてあって、ちょっとビビリました。
パパントラやエル・タヒンは、トトナカ文化の中心だったところで、現在でも、ヴォラドーレスと呼ばれる。両足をロープで縛って、たかーい竿の周りを逆さまになってグルグル回るお祭りが有名です。残念ながら、この時は見ることが出来ませんでしたが。
posted by tady at 11:39| ローマ ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ちょっと遅いけど、La Notte Bianca続報

ローマの自由ラジオ局の一つ、Radio Citta' Futuraが中継をしているようです。参加した人たちのインタビューとか、コンサート情報を流しています。
コンサートそのものは、分かりませんが。
まだ4時間くらいあるので、イタリア語の分かる方は
http://www.radiocittafutura.it/home/home.asp
の右上のListen Nowをクリック。
posted by tady at 11:14| ローマ ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

La notte bianca

タイトルを直訳すると「白い夜」になるんだけど、徹夜するって意味です。
昨日9月17日の夜から、ローマで始まったイベントのタイトルもこの「La Notte Bianca」。
ローマ市とローマ商工会議所主催、イタリア文化省共催ので、3年前から行われている催しで、夜を徹して、コンサートや演劇、映画上映などが行われます。昨年は、小雨模様にもかかわらず、実に200万人が参加したとか。
今年も、雨に祟られたようですが、500イベントのうち330は、室内で催されるとのことで、大きな影響はないようです。今年は800人のアーティストが参加するとか。
ローマ市庁舎のあるカンピドーリョの丘の特設ステージで行われた開会式には、「ライフ・イズ・ビューティフル」で日本でもかなり知られるようになった、喜劇役者ロベルト・ベニーニが挨拶に立ち、トスカーナ出身の彼が「ローマから多くのことを学んだ。僕のオオカミの乳を吸って育ったんです。ローマのみんなに感謝」と述べたとか、オオカミの乳を吸うとは、ローマの礎を築いた二人の兄弟が、オオカミに育てられたという伝説から来ています。
彼の舌鋒も相変わらず冴えていたようで「ちょっと遅刻しちゃったんだけど、実はベルルスコーニと選挙法のことで話し合っていたんだ」とジョークを交え、現在問題となっている選挙法の改正(改悪)によって、多くの得票を受けた側が負け、少ない得票でも勝てるようになるのはおかしいと、ベルルスコーニを批判。一方で、チャンピ大統領が、政治を後戻りさせてはならないと述べたことに対しては、賛辞の言葉を述べたようです。

以前にも書きましたが、現ローマ市長のヴェルトローニがお祭り好きだからかもしれませんが、それにしても、日本と比較して、その文化活動の違いに、ため息が出ます。これらの催しが無料で見られるんですから。
posted by tady at 08:28| ローマ ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月17日

イタリアの政治家たち7 マッシモ・ダレマ

一応バランスを考えて、右左右左と政治家たちを紹介してきてますが、今回はMassimo D'Alemaです。
左翼民主党(Democratici di Sinistra)のリーダーの一人ですが、現在は党内では役職には就いていないみたい。でも、彼の発言は、それなりに影響力があります。

1949年4月20日、ローマ生まれ。父親はイタリア共産党の政治家ジュゼッペ・ダレマ。
彼の政治活動は、1963年に当時の「イタリア共産主義者青年同盟=Federazione giovanile comunista italiana(Fgci)」に加盟した時から始まる。1968年には共産党に入党。
1975年から1980年までFgciの書記局長を務める。
1983年に共産党の執行部に加わり、1987年に初めて国会議員となる。この当時、共産党は大きな転換点を迎えていた。1989年ベルリンの壁の年に、共産党は左翼民主党(当時はPartitp=党を意味するPがついていた)に改名する。当時の書記局長は、アキレ・オケット。これにより、共産党の伝統的なマークであった鎌と槌がシンボルマークから消え、イタリアでもっともポピュラーな樹木、樫木がシンボルマークとなった。そのため、この党は、樫木を意味するイタリア語Quercia=クエルチャと俗称されている。
PDSは、1994年の選挙に於いて敗戦し、彼は、オケットの後継者としてPDSの書記局長に就任。ベルルスコーニの率いる与党連合、自由の極との間で、論戦を繰り広げることになる。この論争は、ボッシ率いる北部同盟が、反旗を翻し、ベルルスコーニ内閣を倒閣させる一因ともなった。
そしてその後の選挙で、プロディが率いるオリーブの木が勝利し、中道左派のプロディ内閣が誕生。しかし、連立の一角であった最左派の共産主義再建党が離反することで、プロディ内閣も倒閣。
1998年10月21日にダレマは、首相に選出され、2000年4月までその職を務めた。
2003年には社会主義インターナショナルの副代表に選出されている。
2004年6月の欧州議会選挙に当選。

イタリアにいる時に、テレビ番組で、彼が話すのを聞いたことがあるが、線は細いけど、非常に切れる人という印象を持った。イタリア左翼の重要な論客の一人だ。
posted by tady at 22:24| ローマ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マフィアのボス、今度は魚好きで捕まる

ナポリのマフィア組織、カモッラのボス、パオロ・ディ・ラウロが捕まった。
彼のファミリーは、ファミリーから分裂した組織と、2004年10月から抗争を始め、2005年3月までに、およそ50人が死んだという。
彼自身は、1997年から姿をくらましており、彼の声も一度だけ盗聴に引っかかったが、その後の消息は分からず、一部では死亡したのではないかとの説も流れていたという。
彼は、自分の息子が逮捕されたことを契機に、抗争に終止符を打ち、和解するために、地元のセコンディリャーノという町に戻っていたところを捕まった。
彼の隠れ家が分かったのは、彼が特定の魚(サーモンとペッゾーニャ=鯛に似た魚)を好んで食べることを捜査側が把握しており、その魚を買いに来る、同居人の女性から、たどり着いたという。
posted by tady at 09:32| ローマ ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月16日

Cada dia mas

今日は、ちょっとメランコリック。
秋の夕焼けを見たからかな?
まあ、そればかりではないのだけれど、
持って行き場のない気持ちをこんな歌を聴きながらやり過ごすかな。
甘ったるい恋の歌が好きなわけではないけれど、たまには浸ってみるのも悪くないかも。
最初に聞いたのは、メキシコから帰ってきて、スペイン語を忘れないようにと、スペイン語の歌を探していた頃です。
当時は、日本で手に入る、スペイン語で歌う歌手のレコードは本当に限られていました。
フーリョ・イグレシアスの有名な歌です。邦題は何故か「夜が泣いている」って陳腐なタイトルになってますが、、、、
あーこんな恋をしたいもんだ。

日ごとにもっと

君が僕に聞くのなら
本当に愛しているの? と
遠く離れていても
君の優しさを求めているのか? と
君がそう尋ねたら
僕はこう答えたい
君こそが僕の一番欲しい夢なのだと

日を追うごとに
君のことをもっと知りたくなる
日を重ねるたびに
君にそばに居て欲しいと思う
日ごとに
僕は君の傍らで生きていきたくなる。
そして、二人して
この愛のために闘っていこうと
その思いは毎日毎日強くなっていく。

君が僕に聞くのなら
本当に愛しているの? と
君が僕の人生に現れたその瞬間から
ずっとだよ
君が僕に聞くのなら
僕は答えよう
君こそが、僕に生きる意味を
与えてくれたのだと。

Si me preguntas
si te quiero de verdad
si en la distancia
nesecito tu carino
si me preguntas
yo te quiero contestar
que para mi
tu eres el sueno mas querido.

Cada dia mas
nesecito saber de ti
cada dia mas
nesesito tenerte aqui
cada dia mas
a tu lado quero vivir
y luchar los dos
pro el mismo amor
cada dia mas, mas
Si me preguntas
si te quiero de verdad
desde el instante
que llegaste tu a mi vida
si me preguntas
yo te quero contestar
que tu me diste la razon
para vivirla.
(注:スペイン語のアルファベットが入力できない部分がありました。アクセントやnの上の〜が入っていません)
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ブレッシャに超能力者出現

イタリア北部の町、ブレッシャに死者の言葉を聞くことが出来る超能力者が現れたとか。
マリア・ロサという女性がその人。
3年前に行方不明になった若い女性の遺体の場所を正確に言い当てたという。その場所はコモ湖の湖底120メートルのところだった。
実は2003年にも、行方不明になったいたカップルの捜査に協力して、発見しているという。
本当にそんな能力があるのかを疑う声もある。コモ湖に落ちたものは、水流の関係で同じところに集まるとか、カップルの遺体が発見される前に、女性の持っていたバックが、発見現場のそばで発見された事が新聞に既に出ていたなどなど。
彼女によると、2002年に脳腫瘍の手術を受け、昏睡状態に陥った時に、1977年に亡くなった父親と再会し、その後、意識を取り戻しても、死後の世界と行き来できるトンネルを感じることが出来るようになったという。
また、彼女の能力によって、ローマで何万人という死者が出るところだったテロ事件を未然に防いだと言っている。
彼女の仕事は、養護施設で午前4時半から午後まで、看護助手として働き、その後は家で、助けを必要としているのお手伝いをしているという。
後2年ほどで定年するので、そうしたら、数々のイタリアのミステリーと呼ばれる事件の解決に取り組むそうだ。
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2005年09月15日

選挙法改正議論進行中

現在の政権与党、カサ・デラ・リベルタが、選挙法改正を行おうとしている。
しかし、政権与党内に於いても、意見が分かれており、さらに、野党の中道左派からも反対の声が上がっている。
戦後イタリアは、長い間、キリスト教民主党とイタリア共産党の二大政党によって政権が争われてきた。未だにイタリアでは、左翼と右翼というカテゴリーが色濃く残っている。
しかし、70年代からは、政権運営に関して言えば、小政党が林立し、それらの政党との連立なくしては、政権を取ることができない状況が続いていた。
ベルリンの壁が崩壊し、キリスト教民主党も解体、イタリア共産党もなくなって、現在は、ベルルスコーニを頭とする中道右派の「自由の家」とプロディに代表される(プロディだけではないので簡単にはいえないけど)中道左派との二極化が進んでいる。とはいえ、やはり、連立政権であることに変わりはない。
現在の選挙法は、二大政党制を推し進めるために作られたらしいが、ここでまた、改正されようとしている。
問題となっているのは、比例代表制の配分の問題と4%以上の投票を得られない場合の足きり条項のようだ(詳しく読んでないのでもうしわけない)。
ここにきて、チャンピ大統領が、選挙法改正問題について発言した。
「政治は後戻りしてはいけない」と言ったらしい。
イタリアの政治は(日本の政治もだけど)、難しくって、ちょっと目を離すと、話が分からなくなってしまう。
せいぜい頑張って、追っかけていきます。興味を持って読んでくれる人は、あんまりいないと思いますが、、、、
posted by tady at 22:12| ローマ | Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あの、アラン・ドロンが、、

レップブリカに、「パリス・マッチ」に掲載されたアラン・ドロンのインタビュー記事の内容が紹介されていた。
彼は今年の11月で70歳になるという。現在は、心臓病を患っており、舞台公演がキャンセルされたらしい。
3年前に、離婚しており、子供は前婦人が引き取り、現在彼はスイスに一人住まいだそうで、未だに離婚の痛手から立ち直れず、「自殺を考えることもある」という。
「太陽がいっぱい」のあの若々しい彼がとても強く印象に残っているので、なんか寂しいかんじがした。
posted by tady at 17:19| ローマ | Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月14日

マイケル・ムーアの新作は、ブッシュとカタリーナらしい

記事カテゴリに悩みますが、日記って事で。
イタリアの新聞マニフェストのサイトに、マイケル・ムーアの記事が投稿されていた。
「アメリカを助けてくれ」ってタイトルで、アメリカ人に呼びかける内容になっていた。
彼の視点は、既に多くのメディアが語っているように、今回のハリケーンの被害は、FEMAの予算削減等、ブッシュ政権の過ちに起因する部分がたくさんあるという指摘や災害後のブッシュの対応の鈍さなどとについて書いてあった。
英語からイタリア語への翻訳なので、ネットでオリジナルの文章が見つかるかと探していたら、ムーアのサイトがあった。
トップにある「Here's How You Can Make an Immediate Difference in Louisiana」をクリックすると、9月7日付けのムーアのメッセージがあり、今すぐ出来ることはなにかについて詳しく説明してある。もう、無能なブッシュ政権に頼るのはやめて、直接市民に援助を届けようと呼びかけている。

さらに探していくうちに、Japan Todayにこんな記事が
http://www.japantoday.com/e/?content=news&cat=8&id=349048
ブッシュが、ハリケーン・カタリーナにどう対処したかっていうドキュメンタリーをとるかもしれないという記事です。

この間のベンニの記事と言い、ムーアの指摘と言い、やっぱりブッシュはヤバイなーーと思います。
日本の首相も、かなりヤバイ感じですが、、、
明るい未来はないのだろうか? とちと暗くなりますね。
posted by tady at 16:56| ローマ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

死刑囚からコラーゲン?

コリエレ・デッラ・セラに、イギリスの新聞ガーディアンからの情報として、ギョッとするようなニュースが出ていた。
はじめに言っておきますが、あくまでニュースってことで、政治的な意味はありませんので。
中国では、刑の執行された死刑囚の皮膚からコラーゲンを抽出して、化粧品の原材料とする話があるという。
中国では、伝統的に行われてきたことで、何ら抵抗は感じないそうで、中国の業者からその話を持ちかけられたヨーロッパの業者がびっくり! ってことみたいだ。
イギリスに、コラーゲンに関するきちんとした法律がまだないためということだが、法律や倫理の問題以外にも、病気の感染が懸念されると書いてある。
中国の業者の名前は、明らかにされていないが、過去に、コラーゲンをヨーロッパに輸出していたという。
ヨーロッパ製の高級化粧品を使ってる人、ヤバイかも、、、、
さらに、ネットでちょっと調べてみたらこんなページも出てきた。
http://homepage1.nifty.com/awaya/hp/ronbun/r008.html
かなり以前、立花隆がリポーターとして、アメリカの臓器産業の実態を報告したNHKの番組があったが、そこでも、死刑囚ではないにしても、遺体からの臓器摘出が当たり前って感じで話していたことを思い出す。
僕は、何らかの宗教を信じているわけではないし、死んでしまえば人間だってただの有機物の塊でしかないわけだけど、それにしても、人間の尊厳ってどうなっていくんだろう?
神は死んだのか知らん?
posted by tady at 14:13| ローマ | Comment(1) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月13日

犯人に告ぐ 読了

雫井脩介著『犯人に告ぐ』を読み終わった。
ほんと最近は1冊読み終わるまでにやたら時間がかかってしまう。
彼の作品は、今まで何冊か読んでいる。『白銀を踏み荒らせ』とか『虚貌』とか。
今回の作品も、結構面白かった。特に、個人的に、舞台となった地域が、僕の住んでいるところに近いせいもあるかもしれない。
現実にも、トランク詰めの女性死体が発見されたり、つい最近も、パートの女性が殺害されて、人通りの少ない木立の中で遺体が発見された事件があったばかり。
小説では、子供の連続殺人という設定になっているけれど、現実の事件と近いものがあったりする。もちろん小説の方が先に書かれているので、現実の事件を参考にしたわけではないだろう。
おりしも、劇場型選挙で、自民党が大勝したが、この小説のキーワードは、劇場型捜査。劇場型犯罪を解決するのにぶつけようとって発想だ。
つまり、ストーリーの設定は、宮部みゆきの『模倣犯』と類似している。宮部の作品が、犯人側からのストーリーだとすると、これは刑事側からのストーリーって感じがした。
『模倣犯』は、映画化されたが、そっちは最悪。原作の方がずっとおもしろかった。
こういった、ミステリーは、内容を詳しく書くとネタバレしてしまって、こらから読んでみようかなーって人には迷惑だと思うので、あんまり詳しくは書かない。
ただ、読み終わって印象に残っているのは、刑事が病室で、謝罪しながら嗚咽する場面かな。
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フォーHG!が流行ってますが、、、

ここのところ、ゲイの話が続きますが、それは、HGが流行っているからではありません。念のため(^_^)

イタリアの政界では、10月に、次期選挙の中道左派勢力の顔となる人物を決めることになっている。
そんな中、7月にプロディが発言した内容を、カトリック系新聞の「オッセルバトーレ・ローマノ」が批判。一方、左翼内部でも、彼の発言については、意見が分かれており、さらに、プロディの発言を支持するとフィーニが表明したことで、AN(アレアンザ・ナツィオナーレ)内部で意見が分かれているという。
さて、プロディが何を言ったかというと、同性愛者の結婚問題だ。
プロディは、フランスと同じように、同性愛者の事実婚は認めると発言した。
しかし、これは、一般的な異性間での結婚と全く同等の権利を有するものではなく、左派系の人々は、スペインのサパテロと同じようにすべきであると考えている。
カトリックはもちろん反対。しかし、フィーニは、社会の基盤は、家族であり、異性間による結婚であるが、同性愛者が差別されることは良くないと発言。物議を醸している訳だ。
これは、同性愛者団体の票を獲得するためのスタンドブレーとの声も出ている。

じゃあ、他の国はどうなっているのかって比較が、いくつかの新聞サイトに出ていたけど、コリエレ・デッラ・セラが比較的詳しかったので、その内容をざっと書いておきます。
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2005年09月12日

イタリアの政治家たち6 ジャンフランコ・フィーニ

ジャンフランコ・フィーニは、現在のベルルスコーニ内閣で、副首相と外務大臣を務めている。
この前書いた、ルッテリと1993年のローマ市長選で闘い、決選投票まで残ったのも彼だ。
アレアンザ・ナツィオナーレ=Alleanza Naziole(略号AN)国民同盟の代表でもある。
1952年1月3日ボローニャ生まれ。ローマ大学の教育学部心理学科を卒業。

彼が、政治に関心を持ったのは高校生のころで、1969年にMSI(Movimento Sociale Italiano=イタリア社会運動)の思想に興味を持ったところから始まるという。MSIとは、ムッソリーニのファシズムの流れを汲む政党であった。
当時のイタリアは、新左翼運動がとても活発だった頃のはずだから、その中で、右翼の組織に関心を持ったというのは、中々興味深いと僕は思う。
家族がローマに引っ越したことで、彼もローマに移り、そこでMSIの青年組織であるFdG(Fronte della Gioventu'=青年戦線)の幹部となる。
1970年代を通して、新左翼とファシズム勢力との衝突は、結構激烈を極めていたらしい。その辺は、以前にちょっと触れたヤコポ・フォーの本による。
彼も、ローマ大学に通っていたものの、対立する新左翼からつけ狙われるようになって、大学に行けなくなったとか。
1977年には、FdGの事務局長に選出され、1983年にMSIの候補として国会議員に当選する。
1987年にはMSIの事務局長となる。いわゆるMSIの生え抜きであったわけだ。
当時のMSIは、ファシズムの流れを汲む党として、議会に於いても活動を制限されていたし、与党になることなんて考えられなかった。イタリアには、過去の教訓から、ファシズムの政党を認めない法律があるからだ。
1994年、ローマの市長選に敗れた後、フィーニは、MSIの呪縛から逃れるべく、ANを結党する。そして、1995年の全国総会に於いて、ANの代表に選出された。
ローマの市長選当時から、まだ政界には進出していなかったベルルスコーニは、フィーニを応援しており、その後は、ベルルスコーニが作った党フォルツァ・イタリアと共にANも「自由の極」と呼ばれる中道右派勢力の一つとして、1996年の選挙に臨むが、敗北。しかし、2000年の地方選挙では、勝利を収める。
2001年には「自由の家」=中道右派勢力として選挙に出馬し当選。第二次ベルルスコーニ内閣で副首相を務める。
2003年11月エルサレムを訪れ、ナチズムのやったことを忘れてはならないと発言すると共に、人種隔離政策を行ったファシズムについても否定的見解を述べた。
この発言をきっかけに、ムッソリーニの孫で、ANの党員でもあったアレッサンドラ・ムッソリーニは、同党を離党している。
MSIというファシズムの暗い過去を背負った政党から、ANという新たな政党に衣替えをし、なおかつファシズムの非を認めることで、イタリア中道右派政党のイメージを大きく変えたのが、フィーニだと言える。
ダンディーで、真面目という印象があるが、袈裟の下から鎧が覗くってことがないといいのだけれど、、、
posted by tady at 21:05| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

僕は盗聴されたい&ブッシュは宇宙人

Beppe Grilloのブログに、こんなタイトルの記事が出ていた。思わず笑ってしまった。
先に触れた、イタリアの盗聴関連法案が、内閣全員の賛同を得て、国会に提出されることになったからだ。また、ベルルスコーニは、犯罪者を対象としたもので、一般市民が盗聴されることはないとの演説をしたが、その犯罪の中には、経済問題に関するものは入っておいらず、ここのところずっと話題となっているイタリア銀行の問題なども、対象外と言うことらしい。
で、彼は、ポスターを作ったので、コピーしたり印刷したりして、そこら中に貼ってくれと呼びかけている。PDFファイルになっているので、使いたい方はどうぞ。写真の人物がBeppeです。

さらに、数日前の彼のブログには、このブログでも紹介した作家、ステファノ・ベンニが寄稿している。

彼らしい、皮肉たっぷりの文章だ。
内容は、ブッシュが、自ら、自分は宇宙人であると告白している形になっている。
自分が大統領になってから、アメリカや世界がどんどん悪くなっているが、実は自分は宇宙人で、ゴッドブレスミー星から、地球を破壊する使命を帯びてやってきた。
という話になっている。
Beppeのブログの9月9日付けに出ているので、イタリア語が読める方はどうぞ。
訳したいけど、著作権がきになるので、概略だけの紹介ですみません。

ベンニは、時々新聞などにも寄稿するのだが、かつて1985年にイタリアとアメリカがあわや戦争になるかというシゴネラ危機の際も、「イタリア軍の通信を盗聴したテープが手に入った」という内容で、文章を書き、それがイル・マニフェスト紙の一面に載ったことがある。
事情をよく分かっている人は、ニヤリとしたが、本当のことだと信じてしまった人もあった。
今回のは、それほどインパクトはなかったけど、読んでて彼の辛口の皮肉にニヤリとしてしまった。笑えない内容なのだけど、その辺をうまーく、ブラックな笑いに持ち込むところがいい。
サティラの真骨頂ですね。
posted by tady at 16:48| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

MARCIA PERUGIA-ASSISI 2005 続報

9月11日に行われた、ペルージャ−アッシジ平和行進の参加者は20万人でした。
イタリア3大労組のトップは全員参加。共産主義再建党のファウスト・ベルティノッティや緑の党のトップ、アルフォンソ・ペコラーロ・スカニオなども参加した。イラクで人質になっていたジュリアーナ・スグレナの姿もあったようだ。
「貧困を止めよう」と書かれた100メートルの横断幕を先頭に、朝の9時にペルージャを出発し、午後3時頃にアッシジに到着したとのこと。
多くの地方自治体の首長も、トリコロールのタスキをかけて参加したそうだ。イスラム教の団体も参加したという。
また、チャンピ大統領からも、メッセージが届けられた。

webの写真を見る限りは、天気も良かったみたいだし、参加したかったなー

その一方で、当のアッシジ市は、この行進に参加しなかった。中道右派の市長は、平和行進が、反米的であるとして、参加をせず、独自に9月11日のテロ被害者を追悼する集会を開いたそうだ。参加者はすごく少なかったみたい。
posted by tady at 11:33| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月11日

自民党が圧勝って、どうして?

わからん! どうして自民党が圧勝なんだろう? そんなに良い政治をしてきたんだろうか?
民主主義なのだから、国民の投票結果は、尊重すべきものであることは、当然だ。
たとえ、政治的立場が違ったとしても、それが民主主義なのだから。
それにしても、理解できない。どうして? って気持ちが率直な思いだ。
これから、様々な分析がマスコミによって行われるだろう。
でも、やはり、釈然としない。
中曽根さんが総理のとき、僕は外国にいて、彼が、貿易黒字を解消するために、日本人一人一人が、100ドル使うようにと言ったという報道を聞いて、アメリカに媚を売る日本政府に、大幻滅して、自分が日本人であることをやめたくなったことがある。
その時に感じた衝撃と同じくらい僕には今回は衝撃的だ。
どうして? っていうのが本当の気持ちだし、日本はこれからどうなっていくんだろう? って不安がかなりある。
posted by tady at 22:37| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

週末はラーメン11

土曜日は、秋葉原に行った。当然の如く神保町で途中下車。二郎の行列が長いようならさぶちゃんと決めていたのだが、思いの外二郎の行列が短かったので、二郎に決定。
神保町二郎は女性客が多いとのブログ情報があったが、この日も女性客が何人かいました。
だんだんマニアのラーメンから、メジャーになっていくのかも、、、、
お腹はかなりすいていたのだけど、身の程をわきまえて小を頼む。それでも後半は苦しかったなーーー。そろそろ二郎も卒業しても良いかもしれないと、思いました。
で、その後は秋葉原へ徒歩で向かった。HDDを換装したノートパソコンは、その後順調に動いているのだけれど、枕元に置くには、ファンの排気音がかなりうるさく、そろそろ新しいノートを買おうと思っていたのだが、今月後半、遅めの夏休みを取って旅行を計画中で、意を決して、その時に持っていく小型のモバイルノートを購入した。メーカー品のPCは、おおお昔に、一番最初に買ったIBMのデスクトップ以来だ。その後は、殆ど自作機で、ノートもショップブランド品だったので、大手メーカー製は初めての購入。
購入後は、早速セッティング、いらないソフトを削除して、必要なソフトをインストール。しかし、ほんとに簡単。自作機だと、OSのインストールから始まって、ドライバ合わないとか、途中でハングとかいろいろあるんだけど、さすがメーカー品、あっという間にすべてが終わり。高い金を出すだけのことはあると感心。
日曜日は、朝投票に行って、その後、白河中華を目指した。久しぶりに緑道を走ったが、木が茂ったところに行くと、ツクツクホウシの大合唱。久しぶりに蝉時雨を聞いた。
白河中華ではざる中華を食する。前回よりも油はそれほどしつこくなく、美味しく頂いた。
posted by tady at 17:27| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月10日

盗聴に関する話題を二つ

テロを心配するヨーロッパ各国は、EU加盟国の全ての電話、全てのe-mail、全てのwebサイトに関して、1年間記録を残す方向で動き出した。来月には、EU版ビッグ・ブラザーが誕生するらしい。
ビッグ・ブラザーとは、ジョージ・オーエルが、1949年に発表した小説「1984」の中で描かれている、全てを監視する存在のことだ。
もっとも、テレビ番組にも、同じタイトルのものがあって、日本の「あいのり」みたいなもので、一軒の家に、見知らぬ複数の男女を一緒に住まわせて、人間関係がどうなっていくかを覗き見るという内容らしい(僕は実際に見たことがないので、webからの情報ですが、、、)。

アメリカやイギリスと言ったアングロサクソンの国の盗聴ネットワークとして、エシュロンの存在が既に明らかになっているが、EUもテロ対策を名目に、同じことをしようとしているかに見える。
これだけの膨大なデータを解析するために当然、スーパーコンピュータが必要になると思うが、その辺がどうなっているかは、不明。
日本の盗聴法も、実はアメリカの要請があって作られたと言う噂もある。日本には、膨大な情報を解析するだけのコンピュータは存在せず、法律ができても、その解析はアメリカに頼らざるを得ないからだという話もあった。真偽のほどは分からない。

イタリアでは、やはり司法捜査のための盗聴を認める法律を作ろうとする動きがある。
ベルルスコーニ内閣は、国会の審議を必要としない通達として合法化しようとしたが、大統領から、個々人のプライバシーに関わる重大な法律なので、国会審議を経て、法律として成立させるべきだとの意見表明があり、現在国会に提出すべき法案を作成中のようだ。
この法律では、テロ関係、マフィア関係、電話等による脅迫などに関しての司法捜査のための盗聴を認めるという内容で、ジャーナリストなどが取材する時の内容は、司法捜査の対象とはしないということらしい。

僕もネットを便利に使っているけれど、ネットでの情報のやりとりは、個人的なメールも含めて、決して安全ではないと意識して使わなければと思っている。
posted by tady at 19:54| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月09日

チェ・ゲヴァラの歌など

ハアー、今、チェ・ゲヴァラへの歌をいくつか、ネットからダウンロードして聴いたところです。
このブログのmusicaのカテゴリーの記事があまり多くないので、そろそろ歌の話題でもと思って、チェの歌を探していたら、こんなサイトを見つけました。
http://www.echeguevara.com.ar/htm/canciones.htm
その歌を聴いていたら、ハアーってなちゃいました(感動のハアーです)。
ノスタルジーもあるのかもしれないけれど、懐かしさだけではなく、彼の生き方に、ハアー、でした。
上に載せたURLは、オリジナルの歌ではないようです。著作権については分かりません。
でも、良い歌があります。
特に、このURLにある「poesia al Che Guevara」は、僕の記憶に間違いがなければ、作者のパブロ・ネルーダ本人が朗読したものの録音のはず。以前聞いたレコードと同じものでした。
スペイン語ですから、翻訳しないと意味が通じないのですが、今日はちょっと無理。
しばし、ハアーのままです。
posted by tady at 20:35| ローマ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | musica | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イタリアの政治家たち5 フランチェスコ・ルッテリ

中道左派の政党、マルゲリータ(マーガレット)を率いている、前ローマ市長。
でも、彼の政治のキャリアは、実に複雑。
1954年6揃14日、ローマ生まれ。
彼が政治に関わるようになったのは、伝説のカリスマ政治家と言っても良い、マルコ・パネッラと出会った事による。パネッラは、急進党を率いて、実に破天荒な政治活動を行っている。特に有名なのは、政党による政治を批判して、国民投票を連発すること。イタリアの中絶法や離婚法の成立のきっかけを作ったと言っても良い。(パネッラについては、そのうちね。)
ルッテリは、彼のカリスマ性に惹かれて急進党に入党。1981年には、急進党の事務局長となる。
急進党が、収監されていたトニー・ネグリ(元パドヴァ大学の教授で、新左翼運動の理論的指導者と言われた。日本での評価は高いみたいだけど、イタリアではそうでもなかった)を、獄中から出馬させて、当選させ、国会議員にすることで、議員特権で釈放させた一連の運動をルッテリが仕切ったそうだ。
ネグリは、その後、行方をくらまし、パリに亡命。これも、イタリア左翼からはかなりの不評をかった。
1983年、ルッテリは国会議員に当選。急進党員でありながら、当時のイタリア環境連合の会員でもあり、緑の党と急接近する。こうして、急進党から緑の党へと鞍替えした。
続く、1987年と1992年の選挙でも当選し、1993年の4揃には、政治が混乱するかな成立したチャンピ実務内閣で、環境大臣に選ばれるが、わずか1日で辞任し、ローマの市長選に立候補する。
その選挙では、ちょうど選挙法の改正があり、候補者が、投票総数の過半数を得られない場合は、上属2名で決選投票を行うことになり、ルッテリが勝利。ローマ市長となった。
4年間の任期を終え、1997年に迎えた改選でも当選。当時の支持率は70%もあった。
確かに、保守揃の市長から、ルッテリになって、ローマのいろいろなサービスが向上したのは事実で、例えば、僕がローマを訪れた時も、ローマ市内の大気汚染が激しく、その対策として、公共交通機関の充実と運賃の値下げなどを行ったのも彼だ。
このころ、プロディや政治腐敗を告発した判事ディ・ピエトロなどとともに、イ・デモクラティチという政治集団を作る。シンボルがロバだったため、asino=アシノ=ロバと呼ばれた。

ローマ市長を務める傍ら、1999年には欧州議会議員に当選。また、2000年の聖年(ジュビレオ)の時は、先頭に立って、ローマにやってくる多くのカトリック信者の受け入れ態勢と、町の整備を行った。
2000年9揃には、ベルルスコーニに対抗する、プロディに次ぐ中道左派連合の・表に選ばれる。
その後、ルッテリは、自らの政党マルゲリータを立ち上げる{シンボルのマルゲリータ(マーガレットの花)は、元々、緑の党から分裂した政党が使っていた}。しかし、2001年5揃の選挙では中道左派は負けてしまった。
現在は、プロディが欧州委員長の任を終えて、イタリアに戻ってきており、ルッテリとプロディのどちらが中道左派連合の顔になるかで綱引きが続いている状態と言っていい。

ちなみに、お連れ合いは、有名な作家であり、ジャーナリストである、バルバラ・パロンベッィで、ヴェネツィア映画祭に彼女が出かけた時は、エスコート役としてルッテリも赤絨毯の上を歩いたらしい。
以前、ルッテリが、ローマ市長をやっていた頃、遊びに行ったローマで訪れた、サンロレンツォ(ローマの大学のそばにある地区で、昔ながらヒッピーや新左翼文化が残っているところで、変わった書店も多くある)の書店で、その店村が、ルッテリの顔がだんだん醜くなっているので、彼の顔写真を集めて、写真展でもやろうかと思っていると話していたことがある。
ルッテリの顔は、彼が環境運動に力を入れている頃から見ているけど(生で見たことも何度もある)、確かにだんだん人相が悪くなっている。
あの純粋な青年政治家はどこへ行ってしまったの? って感じかな、、、
posted by tady at 16:23| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月08日

新興宗教パスタファリズムって知ってる?

インターネット上で新しい宗教が生まれたようだ。その名は、パスタファリズム。
神の名は、フライング・スパゲッティー・モンスター。アメリカのカンサスで誕生したこの宗教は、今や全世界に広がりつつあるらしい。
この宗教の誕生は、ニューヨークタイムスやガーディアン、シュピーゲルでも報じられたらしい。

誕生の由来は、カンサス州の学校で、科学の時間にダーウィンの進化論ではなく、世界は神によって創造されたと教えようとしたため、それに反対した先生が、起こしたものだそうです。
そのHPがここhttp://www.venganza.org/
もし、世界が神によって創造されたのだとすれば、神にもいろんな種類があって、僕らは、フライング・スパゲッティー・モンスターが創造したと信じる信者です。っていう内容。
これは、その神のお姿のひとつ。
noodledoodlewall.jpg

信者は全世界に広がりつつあるそうで、サーチエンジンで「Flying Spaghetti Monster」で検索すると、数多くのページがヒットするそうです。
あなたも信者になってみる?
posted by tady at 22:23| ローマ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イタリアのサイトから カタリーナ 外国人被災者の情報

イタリアの新聞サイトからの情報によると、今回のハリケーン、カタリーナによる被災者のうち、未だに883人の外国人が行方不明だという。
主な国としては、フランス人が160人、イギリス人が96人、そして多くのメキシコ人が行方不明で、メキシコ人に関しては、密入国者が多くいるため、何人になるかは、まだ分からないという。
先日も、イギリスのブレア首相が、在アメリカ領事館の対応のまずさから、多くのイギリス人が被災したことに対し、国民に謝罪したとの記事もあった。

で、ここからは感想。
未だに、どれだけの人が亡くなったのか、正確な情報がないが、だんだんと明らかになるにつれて、多くの国が巻き込まれていくような気がする。
ブッシュの失政を非難する声が高まっているようだが、それが、アメリカ国民のみならず、世界の人々が非難し始めることになるのかもしれないとも思う。
でも、こうなったら、ブッシュのことは無視して、民間の多国籍ボランティアが被災者を支えていくことしかないのかもしれない。僕自身が何が出来るのかも考えないと、、、
そうなったら、アメリカの威信は、確実に崩壊していくだろうな。
戦争やテロではなく、括弧付きだけど「自然災害」によって、世界秩序が変わっていく転換点に僕らはいるのかもしれない。
これって、あまりにもうがった見方か知らん?
posted by tady at 21:08| ローマ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ローマに住むジプシーの女性が国外追放に

ローマ近郊のジプシーキャンプに住んでいた女性、Nevresaさんが、イタリアから故国のボスニアへ強制送還された。
彼女がイタリアに来たのは1988年のことで、当時のユーゴスラビアからやってきた。彼女は、その頃12歳で、彼女の父親は、ローマ近郊にジプシーキャンプを最初に設営した人の一人だった。
イタリアで結婚し、現在は3人の子供(報道によっては5人)の母親で、上の二人の子は、ローマの学校に通っている。夫も、正式な滞在許可を所有しているジプシーで、ジプシーの協同組合の会員でもある。
彼女が、滞在許可書とパスポートを失ったのは、1996年に住まいが火災にあった際に紛失した。
今年の7月になって、憲兵によって職務質問を受けた際に、不法滞在であることがわかり、不法滞在者を収容するCPT=臨時滞在センターに収容される。
彼女の家族は、ローマ市が進める定住政策に参加しており、まもなく、新しい住まいに引っ越すことになっていた。
支援者たちは、彼女の釈放を求めたが、イタリア政府は拒否。彼女の弁護士が欧州裁判所に訴え、人権保護のために、政府の決定を取り消すように判決が下されるが、イタリア政府はそれを無視して、彼女を強制送還してしまった。
彼女の家族は、みなローマにおり、サラエボに送られても、親戚もいなければ、住まいもないという。
ローマのみならず、イタリアにおけるジプシーの存在は、大きな社会問題となっている。しかし、定住政策や融和政策がとられて、徐々にではあるが、イタリア人とジプシーの間にある溝を埋めようとしてきが、ここにきて、ロンドンでのテロ事件などをきっかけに、不法滞在者への取締が厳しくなっていた。
それにしても、20年近くをイタリアで暮らし、結婚式はローマ市役所で挙げ、子供たちはローマの学校に通っているという人が、強制送還されるのは、単純に考えても、おかしい。

これと全く同じような状況が日本でも、いくつも起きていることは、多くの方もご存じだと思う。
やはり「国家」というもののあり方を考えざるを得ない。
posted by tady at 16:15| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フランスからチェ・コーラがやってきた。

変なコーラがあるらしい。今までも、メッカ・コーラとザムザム・コーラというのがあったが、今度はエル・チェ・コーラが発売されたそうです。
エル・チェとは、あのチェ・ゲヴァラのこと。
el_che_cola.jpg
味は、糖分がオリジナルの2分の1で、化学調味料は使っておらず、オリジナルよりも攻撃的でないそうです。
作っているのは、フランス南部のマルセーユの会社だそうで、売上の50%は、アフリカを中心として、飢餓と闘っている団体や人道的援助団体などのNGOに寄付されるとか。
生産はこの6月に始まったばかりで、まだまだフランス国内でも、あまり流通していないとのこと。もし、見つけて飲んだ人がいればご報告。
posted by tady at 10:23| ローマ | Comment(0) | TrackBack(0) | イタリアのニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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