2005年11月07日

ベル・パエゼ2

僕が初めてイタリアに行ったのは、1981年の冬のことである。ある民間の留学団体でメキシコに1年間留学していたのだが、その留学プログラムに参加していた、様々な国の若者(当時は僕も若かった)たちと友人になった。8月に1年間のプログラムが終了し、メキシコから、みなそれぞれ母国へと帰っていったわけだが、別れる時に、その年のクリスマスをイタリアでみんなで祝おうという話になった。
大半の参加者はヨーロッパ大陸からで、例外は日本の僕とアメリカの女の子。ヨーロッパ組は、国が近いこともあり、多くの連中が参加を表明していた。しかし、まさか日本からは無理だろうとみなは思っていたようだ。
僕は、彼らに再会したいという思いの他に、もう一つ強い動機付けがあり、夏に日本に帰国してから、必死でバイトをして、ヨーロッパ行きのお金を工面した。その動機については、このブログのアーカイブを探すと見つかるはず。ちょいと照れくさいので、ここでは書かない。
僕が最初に降りたのは、スイスだった。そこから、もう一つの理由で、まずはベルギーへ。そこである意味、初めてヨーロッパ文明に出会った。ブリュッセルのグランプラッツに立った時、「あーヨーロッパって石の文化なんだ!」と実感。でも、例の有名な「小便小僧」がとっても小さな像だったのは、かなり想像と違っていた。
ベルギーでいろいろあって、傷心のまま、イタリアへ。
みんなが集まったのは、ヴェネツィアにほど近い、ブレッシャという町。そこ出身のイタリア人の男の子がいたからだ。冬のヨーロッパはとっても寒かったけれど、そこでみんなと過ごした数日間は、とっても暖かい想い出として、今でも心に残っている。
いや、それにしても良く集まったなってくらい、ヨーロッパ各国からみんなやって来た。ヨーロッパだけでなく、メキシコから来た人もいたりした。彼らもそれなりの理由があったんだけどね。若い頃は、ほらね、熱い思いがあるもんでしょ? 男女間における、、、、
この時、僕は、ピアソラのレコードを携えていた。というのも、メキシコで一緒だったスイス人の女の子がピアソラが好きで、レコードを買ったのだが、メキシコに忘れていってしまったのだ。それを、僕が預かって、日本に持って帰り、そしてイタリアまで持っていったというわけ。
ピアソラなんて、当時の僕は全然知らなくて、日本に持って帰った時に、初めて聞いて、すっかり好きになってしまった。音楽とのこんな出会いもあるんですね。

ブレッシャの後は、ウーディネへ行った。そこにも多分、熱い思いを持った友人(日本人ね)がいたのです。
彼が居たところは、コムニタ(コミュニティー)と呼ばれるところで、障害者の人たちが共同生活をしている場所だった。
僕らが参加した団体のプログラムは、ボランティア活動をメインとするもので、メキシコの場合はDIF(デサロージョ・インテグラーレ・デラ・ファミーリア=家族統合発展)という先住民を支援する国の団体やINI(インスティツゥート・ナショナル・デ・インディヘニスタ=メキシコ先住民局)などでのボランティア活動だったし、イタリアの場合は、障害者の自立や麻薬中毒患者の更正などを目的とした、キリスト教系や革新系などの様々なコミュニティーでのボランティアがメインだった。
ウーディネでも数日間過ごしたのだけれど、今でも忘れられない記憶として残っているのは、作業場のシーンだ。そのコムニタでは、製本作業を請け負っていた。印刷された一枚一枚のページを順番に重ねていく。これを丁合というのだが、たまたま僕は、日本でやり方を習っていて、日本流のやり方で、効率よく作業できることを自慢げにやってしまった。作業を早く終わらせるための親切心から出たものではあるのだが、後でよーく考えてみると、車いすに乗った人には負担が多く、決して良いやり方ではなかったのだ。
僕が中退した大学は、障害者を率先して受け入れる大学で、在学中にも多くの障害者(とひとくくりにしてはいけないのだが)友人がいた。それなのに、全く考えが及ばず、日本的効率主義の先兵となってしまった自分があった。
今でも、その時のことを思い出すと、実に恥ずかしい思いに囚われる。

その後、僕は友人たちを訪ねて、スイス、オーストリア、ドイツなどを回り帰国した。
ヨーロッパの最初の訪問が、観光でもなく、また、最も寒い冬場って言うのも、あんまり一般的ではないかもしれない。そして、その時は、自分が再びヨーロッパ、それもイタリアを訪れるとは、思ってもいなかった。当時の僕は、メキシコに帰りたいって気持ちがとっても強かったから、、、
しかし、人生とはままならないものだ。だからこそ面白いんだけどね。
posted by tady at 20:24| ローマ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

週末はラーメン16

先週は、週半ばにお休みがあった。最近、あんまり体を動かしていないので、健康のために山歩きでもしようと思い、朝、早めに起きる。しかし、どうも今ひとつ体調がよくない。ここのところ、夜になると熱っぽく、睡眠が浅くて、朝疲れて目が覚めるって日が続いていたのだが、この日の朝もそうだった。それに天気は曇り。
丹沢あたりに行こうと思っていたのだが、上記のような理由で断念。でもやっぱり体を動かさなければと、それほどハードじゃなくて、お手頃な感じのハイキングができる、鎌倉に行くことにする。
当然、横浜を通っていくので、時間を見計らって、関内二郎でまずは腹ごしらえ。開店20分前くらいに到着する、長蛇の列。ややめげる。それでも40分くらいで、食べられた。小麺少なめニンニクマシヤサイを注文。少なめにしたため、やや物足りなかったけど、これから歩くことを考えれば、致し方ない。
北鎌倉に着いたのは、12時半頃。明月院の脇を抜けて、住宅街の一角から、天園ハイキングコースに入る。建長寺から入るルートもあるけど、拝観料をとられるので、こちらを選択。
ほぼ、1年前にも同じコースを歩いたので、迷うことはなかった。
半僧坊に到着すると、「スズメバチ注意」の看板。さすがに鎌倉、子供連れから、カップル、老若男女、様々な人が歩いていた。
鎌倉に来たのは、もう一つ理由があって、久しぶりに静雨庵のラーメンを食べたいってこと。
14時30分に昼の部が閉店するので、それまでに間に合うように、早足で歩くも、瑞泉寺に到着した時には、既に14時。間に合いそうにないので、頼朝のお墓を見
たり、八幡宮の境内を散策。若宮大路沿いにある農協の販売所を覗いたりして、御成町にある銭湯、滝之湯に向かう。
この銭湯、ほんとう昔ながらの銭湯で、番台があり、脱衣かごなんかも昔のまま、昭和初期のたたずまいのとってもいい感じのお風呂屋さん。陳情があって、1年
間営業が延びていたのだけれど、残念ながら、来年3月で廃業ということらしい。
僕は、今回が2回目。番台でお金を払って、石けんも買おうと思ったのだが、誰もいない。次々と地元のおじいさん達がやってくる。「お金なんか、出る時払えばいいよ」などと言われるも、石けん無いと困るんで、しばし、おじいさん達と世間話をしながら待つ。番台に女将さんが戻ってきて、お金を払い入浴。壁の絵は昔ながら富士山。実にレトロな雰囲気いっぱい。
薬湯につかり、久しぶりに歩いて疲れた足を揉んだりして、小一時間。お風呂を出ると、16時だった。
静雨庵の営業開始は、16時半から。待つべきかどうか、やや迷うが、この日は諦めることにして、アジの押し寿司を買って帰宅の
とについた。

で、土曜日。この日は朝から良い天気。意を決して丹沢の鍋割山に行くことにする。
朝6時過ぎには家を出て、渋沢の駅に着いたのは8時ごろ。大倉行きのバス停山歩きに行く人たちがいっぱい。
バスに揺られて、大倉に着いたのは8時半頃。二俣を通って鍋割山山頂へ至るコースを歩き出す。
しばらくは、普通の車道。やがてそれが林道へとかわる。4キロちょっとの林道を歩いて二俣に到着。ここからいよいよ山登りの開始。
ほんのちょっと歩いただけなのに、ハアハアゼイゼイ、足はガクガク。山頂にはたどり着けるだろうが、帰りまで体力が持つかとちょっと心配。
それでも、どうにか11時には、山頂に到着。コンビニで買ったおにぎりを二つ食べる。晴れていれば、富士山がきれいに見えるらしいが、残念ながら雲が出ていて、何にも見えなかった。ただし、空気は美味しかった。
鍋割山から塔の岳へと向かう尾根道を途中で右に折れて、二俣へと向かう。下りはかなりきつかった。膝がかなり痛い。
帰りには、相模大野二郎によろうと考えていたのだが、思いの外時間がかかり、14時の閉店に間に合いそうになく、それなら、渋沢でなんつっ亭に寄ろうと思う。
以前一度行った時には、かなり油ギトギトのラーメンで、一度食べればいいやと思ったのだが、折角なのでもう一度ってわけだ。
大倉たどり着いたのは14時過ぎ。バスを待つ間に、地元の農家の人たちが出しているお店でミカンを購入。
バスに乗って渋沢の駅へと向かう。足はかなり疲れていて、なんつっ亭まで歩くのはしんどいなぁーと思っていると、駅前に阿闍梨を発見。ってことで、ここでダブルスープの醤油ラーメンと餃子を食べた。スープはなんかパンチがなくてイマイチ。麺は、ボソボソした感じであまり好きなタイプではなかった。無理してもなんつっ亭に行った方が良かったかも、、、、
次の目的地は、弘法の里の湯。秦野市が経営する公共のお風呂。以前も丹沢を歩いた後に立ち寄ったことがあるが、中々良い感じのお風呂だったので、今回も立ち寄ることにする。渋沢から3駅の鶴巻温泉で降りて、一風呂浴びて、体をほぐして、湯上がりに缶ビールをちょこっと飲んで、さっぱりしたところで帰路についた。

日曜日は、友人のところで収穫祭。家庭菜園というにはやや広い農地を借りていろんな野菜を作っている。この日は、里芋とサツマイモの収穫を兼ねて、昼間からバーべーキューで一杯。延々と飲んで、かなり酔っぱらい、その場で久しぶりにあった別の友人に車で家まで送ってもらった。
しかし、それにしてもハードな週末でありました。まだ、体のあちこちが痛い!
posted by tady at 13:38| ローマ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする