Via Giovanni Giolitti(ジョヴァンニ・ジョリッティ通り)
テルミニ駅を背にして、駅の左側を通っているのがVia Giovanni Giolitti=ジョヴァンニ・ジョリッティ通りだ。
この通りは、テルミニ駅の脇をずーっと通って、ポルタ・マッジョーレまで続いている。ポルタ・マッジョーレ広場には、トラムの停留所があって、南下する路線と大学街のサン・ロレンツォ方面へと向かう路線が交差していて、僕もよく通ったところだ。
まず、グーグルマップで場所の確認。
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&q=italy+roma&sll=41.87194,12.56738&
sspn=2.830439,4.927368&ie=UTF8&z=17&ll=41.898572,12.501326&spn=0
.005303,0.013561&om=1
この辺の通りの名前の由来について、今回は書いてみようと思う。
Giovannni Giolittiについての日本語版wikipediaの記述は、全然役に立たない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%
B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%82
%B8%E3%83%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3
まあ、明治維新当時の日本の政治家について、イタリア語版に詳しく出てるはずはないので、その逆もしかりだろう。
参考に、イタリア語版wikipediaにあった、明治維新以降の日本の歴代首相の一覧表を載せておく。
http://it.wikipedia.org/wiki/Elenco_dei_Primi_Ministri_del_Giappone
この表の年代と、これから書こうとする、テルミニ駅の北西側の一画にある通りの名前になっている人たちの生きた時代とを比較してみると、少しは理解の助けになるかも知れない。
イタリア語版wikipediaのジョリッティについての記述はここ
http://it.wikipedia.org/wiki/Giovanni_Giolitti
wikipediaではないが、イタリアの歴史上の様々な人物の経歴が掲載されているサイトを見つけたので、そこにある記述も参考にした。
http://www.cronologia.com/storia/biografie/giolitti.htm
では、Giovannni Giolittiから話を始める。
一言でいうと、彼は、イタリア統一後の一時代を築いた政治家だ。
1842年にクーネオで生まれ、1928年にカヴールで亡くなっている。
日本語版のwikipediaには、ボルゲーゼ家出身ってあるけど、これは間違い。原文のborgheseは、確かにボルゲーセ家の意味でも使われるけど、イタリア語版の記述を見ると、una famiglia borgheseってあって、定冠詞ではなくて不定冠詞が付いてるから、ブルジョア(有産)階級の家族=裕福な家族出身って意味だ。
イタリアって国は、昔からあったように思っちゃうんだけど、それは、ローマ帝国がイタリア半島にあったからで、イタリアって国自体は、1861年に出来ている。それまでは、イタリアには、いろんな小国が入り乱れていた。ヴェネツィア共和国とかフィレンツェ公国とか、ナポリ王国とか、ミラノ公国とか、ルネッサンスの時代を考えてみれば、そこには、イタリアって国は存在してなかった事に納得出来るはず。
イタリア半島を一つの国家として統一しようっていうのが、イタリア統一運動=Risorgimento(リソルジメント)と呼ばれた運動だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%BD%E3%83%AB%E
3%82%B8%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88
つまり、彼が生まれた6年後にイタリア統一戦争が始まり、イタリアが統一された年に、ジョリッティは19歳ってことになる。
大学で法律を勉強した後、公務員になり、その後に政治家へって道を歩んだらしい。1882年(40歳)に政界入りし、1889年クリスピ内閣で、財務大臣を務め、1892年(50歳)で初めて首相となった。でも、ローマナ銀行スキャンダルで辞任に追い込まれた。この事件、政界と財界の癒着事件で、なんか、今も昔も変わってないなぁーって思ってしまった。
http://it.wikipedia.org/wiki/Scandalo_della_Banca_Romana
その後復活して、政界に返り咲くんだけど、1900年から1920年にかけてのイタリアを「ジョリッティのイタリア」と呼んだりするみたいだ。
イタリアが統一されてからしばらく経って、いろんな問題が表面化してきた時代みたいだ。
産業が発展し、社会主義陣営とカトリック勢力が躍進し、アフリカへの侵略が始まり、貧困層のパンを求めての一揆がおこり、そしてムッソリーニが率いるファシスト党が誕生する。まあ、ネガティヴな事ばかりではない。女性参政権はまだまだなかったが、それまでの投票権は裕福な階層だけだったものが、ジョリッティによって、男性ならば誰でも投票出来るようになった(女性参政権が認められたのは、第二次大戦後のことだ)。
テルミニ駅の脇を通っている通りには、そんな彼の名前が付けられている。
では、彼の通りと交差しているのは、どんな人たちなんだろう。
ちょうど、駅の脇から始まるジョリッティ通りと交差するかしないか微妙な位置にあるのが、Via Cavour=カヴール通りだ。
この通りはちょっと長くて、テルミニ駅からコロッセオがあるフォーリ・インペリアリ通りまで続いている。大きな集会とかがあると、共和国広場に集合して、デモの出発を待つ。広場を出発する隊列は、テルミニ駅の脇を通り、カヴール通りを下って、フォーリ・インペリアリ通りに出て、右折してヴェネツィア広場に向かうってのが良くあるデモコースだった。
ジョリッティが亡くなった場所の地名もカヴールなんだけど、この通りの名前の由来は、地名からではなくて、Camillo Benso Conte di Cavourからだろう。
日本語版wikipediaはここ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%AD%E3%83%BB%E
3%82%AB%E3%83%B4%E3%83%BC%E3%83%AB
イタリア語版は
http://it.wikipedia.org/wiki/Camillo_Cavour
彼は、統一されたイタリア王国の初代首相である。
サルディニア王国の王であった、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世がイタリア王国建国を宣言したのが、1861年3月17日で、カヴールは、王に任命されて初代首相となるも6月6日に、マラリアで死去している。ただ、イタリア統一にいたるまで、フランスやイギリスといった列国との交渉に手腕を発揮した。
ちなみに、彼の死因となったマラリアは、かつてマレンマ地区(現在のトスカーナ州の海岸沿いの湿地帯)で蔓延していたそうで、イタリアは、マラリアの研究に関しては、世界トップレベルなんだそうだ。
ジョリッティと次ぎに交差するのはVia Daniele Manin=ダニエーレ・マニン通り。
彼は、イタリア統一を見ずに亡くなった愛国者だそうだ。
日本語版のwikipediaもイタリア語版のwikipediaも記述はほぼ同じだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%8
2%A8%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%B3
その次はVia Gioberti=ジョベルティ通りとVia Carlo Cattaneo=カルロ・カッタネオ通りで、二人はイタリアの哲学者であり、政治家。
Vincenzo Giobertiは、1801年4月5日トリノ生まれ、1852年10月26日パリで死去。サルディニア王国の初代下院議長。哲学者としては、存在学を扱ったらしい。と言われても僕にはよく分からんけど。イタリアの統一は見ずに亡くなっている。
Carlo Cattaneoは、1801年6月15日ミラノ生まれで、1869年2月6日に死去。愛国主義者とイタリア語版のwikipediaにはある。自由主義的連邦制を信じていたそうだ。
二人についてのイタリア語のサイトは
Via Gioberti
http://it.wikipedia.org/wiki/Vincenzo_Gioberti
http://www.cronologia.com/storia/biografie/gioberti.htm
Via Carlo Cattaneo
http://www.cronologia.com/storia/biografie/cattaneo.htm
http://it.wikipedia.org/wiki/Carlo_Cattaneo_%28patriota%29
この地区にある通りの名前は、大体リソルジメントの時代に活躍した人物の名前が付いているみたいだ。
南下するに従って、何となく怪しげな雰囲気の地区になる。まあ、大都市ではどこでも、大きな駅の周辺は猥雑なものだ。
僕がいたのは、かなり大昔だから、現在は分からないけど、夜遅くバスに乗って通りかかると、通りには街娼の姿があったりした。
当初は女性だったみたいだけど、段々と女装の人が増えてきてたみたいだった。
時間があれば、もう少し他の通りも見てみるんだけど、とりあえず今日はこの辺まで。

