2011年03月16日

地震から1

いろいろあったので、今週食べたラーメンはお休み(地震前に食べてはいるんだけどね)。
3月11日の地震が起きたとき、僕は勤務中で、ちょうど100歳になるご婦人をトイレに誘導していた。そう、勤務先は、老人施設である。彼女がトイレに座った直後に、部屋のドアがガタガタし始めて、どうしたのかと思っているうちに、大きな揺れが来た。
場所は川崎市北部だったので、後で知ったのだが、震度は5強だったらしい。居室は3階にあり、大きな横揺れがかなり長い間続いて、直後に停電。非常用の電気が点灯した。
その日は早番で、朝の7時から勤務していて、ご婦人をトイレ誘導した後、おやつのために食堂に連れていき、おやつが終われば勤務終了っていう時間帯だった。
停電してしまったために、テレビは見られないし、電池動くラジオもなく、震源がどこで、地震の規模がどれくらいなのか、まったく分からない状態が長く続いた。
各居室に居る入居者を食堂に集め、安全を確認。当日は、レクリエーションのイベントがあり、上の階に行っていた入居者も多く、余震が落ち着いたところで、居室のあるフロアまで降ろすことになる。エレベーターは停電で使えず、車椅子を4人がかりで持ち上げて、階段を降りる。
あっという間に夕日が沈んでいく。明るいうちに、排泄介助をしておかないと、暗くなってからでは無理ってことで、その作業に取りかかる。非常用電源は確保されている施設なのだが、それでも限界があり、足りない部分はろうそくを灯す。
薄暗いなかで、厨房スタッフが作ってくれた夕食を介助して食べてもらう。普通食の人たちだけではないので、基本はおかゆで、それにカレーをかけたものが夕食だった。
寝る時間が迫ってくるので、各居室からベッドを搬出し、ケアスタッフの目が届くように廊下に並べる。
寝たきりの人もいれば、徘徊する人もいて、それりゃーもう大変。
夜中に交換するためのおむつを用意したり、頻尿で頻繁にトイレに行く人を誘導したりで、あっという間に朝になり、気がつけば勤務を始めてから24時間がたっていた。

その間、自宅のことが心配でなんどか電話をするも、回線がまったく繋がらず、イライラ。ようやく朝になり、一段落したところで、一時帰宅。どうにかバスは動いていたので、帰ることができた。そして、数時間の休息の後、その日は遅番で出社。
僕の地震当日は、こんな感じであった。

自分に余裕が出来て、テレビを見て、あまりの惨状にびっくり。パソコンを立ち上げると、イタリア人の友人達から、安否を気遣うメールが、いくつも届いていた。
posted by tady at 01:40| ローマ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。