2011年05月03日

イタリア映画祭2011 その3「ラ・パッショーネ」

原題もそのまま「La Passione」なのだが、いわゆる情熱という意味ではなく、定冠詞がついているし、これは「キリストの受難」って意味になる。監督はCarlo Mazzacurati。イタリア映画祭の常連監督と言ってもいいかもしれない。主演はSilvio Orlando。イタリア映画には欠かせない名優と言っていいだろう。重要な脇役には、「星の子どもたち」で、左翼かぶれの男を演じていたGuiseppe Battistonがいる。
売れない監督として、5年も新作を出していない主人公(なぜか名字はイタリア人ではなくDuboisで、これがまた重要な意味を持っていたりする)は、プロダクションから、新作のプロットを早く出すようにせっつかれている。ところが、彼が所有する貸家で水漏れがあり、下の階にある歴史的な壁画にダメージを与えてしまう。原因は、彼が管理を怠ったために、水道管が腐食していたからだ。
その家があるトスカーナの田舎町の市長(ステファニア・サンドレッリが演じているが、年をとっても美しい)は、かつてその町に住んでいた伯爵が行っていた聖なる金曜日の「キリストの受難」劇を演出してくれれば、文化財省への告発は行わないという条件を出す。
売れない監督は、致し方なく、その条件を受け入れざるを得ないくなるのだが、その一方で、新しい作品に、テレビドラマで売れっ子の女優の出演が決まり、新作の製作を早急に進めなくてはならない状況に陥る。

そんな中、彼の代理として助監督を任されるのが、元窃盗犯で、刑務所で監督の講演を聞き、演劇の世界に目覚めたバティストン演じるラミーロだ。
左翼知識人を自認する監督は、キリストの受難劇などやりたくはなく、自分の新作の構想を練るのに忙しい。もっともその一方で、その町のバール(日本語的にいうとカフェ)にいるポーランドの娘が気になって仕方がない。

受難劇の実現に向けて奔走するラミーロ。長ゼリフは素人では覚えられないと、地元のローカルテレビ局で人気のある天気予報に出ている俳優に出演を依頼する。この男を演じるCorrado Guzzantiは、実に怪演。

本番当日、一生懸命演じる素人役者たちに触発され、さらに、主演を依頼した天気予報の俳優が、ちょっとした事故で出られなくなり、代役として登場したラミーロのひたむきさに、監督は熱の入った演出を始める。

最後の晩餐のシーンで、太り過ぎのキリストを演じるラミーロが座る椅子が壊れ、観客が笑い出すと、兵士の役をやっている若者が、真剣に演じる役者たちを代弁して、笑うなと訴えるのだが、そこがまた良い。ラミーロは、こんな太ったキリストはいないとメゲるのだが、監督は、もし現代にキリストがいたら、きっと太っているに違いないと慰める。ここも皮肉が効いていて笑えた。

映画監督が、映画をどう作るか悩むって内容の映画は、今までも数多くある。ナンニ・モレッティにもあるし、ウッディ・アレンにもあるので、パターンではある。また、左翼知識人がキリストについて論じるってのパターンだったりする。
そういう意味では、あまり新鮮さはなかったけれど、「星の子どもたち」のバティストンとこの作品の彼を見ることができて、その辺はとっても面白かった。
まあ、映画としては、そこそこだったけれど、、、、
posted by tady at 02:10| ローマ 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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