2007年05月05日

イタリア映画祭2007 番外編

イタリア映画祭2007番外編として、初日に舞台挨拶に立った、今回来日したゲストたちを写真で紹介しときます。
3日目の座談会の後には、サイン会があって、来日ゲストのサインももらったので、それも一緒に載せときます。
アルファベット順でまずは、Agostino Ferrente
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「ヴィットリオ広場のオーケストラ」を監督した人です。
日本での公開も決まったようなので、一般公開の時は、来日するかな? 映画は、オーケストラの音楽よりも、オーケストラを作るために集まった人々について映画いているので、チャンスがあれば、オーケストラの来日公演をしたいので、そのときに聞いてほしいと言ってました。
このオーケストラは、CDを2枚出していて、Amazonで買えるようです。
http://www.amazon.co.jp/gp/search?&index=music&keywords
=orchestra+di+piazza+vittorio&_encoding=UTF8

彼の写真だけは、開会式の時に来日してなかったので、座談会のものです。

次は、Rosso come il cielo=ミルコの光を監督したCristiano Bortone
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この映画も、イタリア映画祭開催前に、日本公開が決まってます。今回は、プレミアム上映ってことで、1度しか上映されなかったんだけど、子供たちの学芸会のシーンは、目をつぶってもう一度見てみたいです。
サインをもらうときに、そう言ったら、監督も、同じことを何人かに言われたと言ってました。
イタリア語が分からないと、ダメかもしれないけど、一度目を開けてみて、ストーリーを理解してから、目をつぶって見ると、イメージがもっと豊かに広がると思います。

La strada di Levi=プリモ・レーヴィの道を監督したDavide Ferrario
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座談会の時に、今度日本で映画を撮ろうかなって言ってました。
サインをもらうときに確認したら、今、思いついたんだけど、考えてみると言っていたので、もしかしたら、もしかするかも。
座談会の時に、「イタリアでは、昨年からローマ国際映画祭が始まり、ヴェネツィア映画祭もあり、トリノ映画祭もモレッティが総監督を引き受けて、国際映画祭が多すぎませんか?」という質問をしたら、「日本の人に心配してもらう問題じゃない」って回答でした。発言は、かなりきつい皮肉の込められたものが多いのですが、とってもナイーヴで優しそうな人でした。
この映画も、日本で公開されることを願ってます。現在のヨーロッパの状況を、ロードムービーというスタイルで、人々の視点から描いています。

N Io e Napoleone=N 私とナポレオンに主演したElio Germano
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「犯罪小説」のも、一番下っ端のヤクの売人役で出てました。
若いけど(1980年生まれ)キャリアは長いそうです。
これからが楽しみな俳優ですね。

今回は、カイマーノの主演女優ってことで来日のJasmine Trinca
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唯一の女性ゲストでした。いかにもローマっ子って感じで、とってもフランクな印象でした。
「犯罪小説」で恋人役を演じたKim Rossi Sturatと仲良さそうでした。
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舞台挨拶や座談会での発言と、スクリーンでの演技との落差が、良い感じでした。
これからが楽しみな女優ですね。

今回の映画祭で、来日ゲストがいる作品としては一番最初に上映されたAnche libero va bene=気ままに生きての監督・主演と「犯罪小説」で主演した、Kim Rossi Sturat
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イタリアでは、Scamarciの人気が高いようですが、彼のいい男です。
気ままに生きての原題のliberoは、サッカーのリベロのことです。
この作品が初監督作品だったのですが、監督をしたことで、役者としてのものの見方も大きく変わったと座談会で言ってました。

オムニバス作品All th invisible children=それでも生きる子供たちへのプローデューサーであり、ナポリの子供を描いた作品Ciroの監督もしたStefano Veneruso
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この映画も日本公開が決まっています。切なくもあり、元気ももらえるそんな映画です。
機会があったら是非ご覧ください。

番外編の番外として、初日の開会式の時に来日中で挨拶をした、イタリアの家族問題担当のRossi Bindi大臣。
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日本映画のオズの作品(小津安二郎)の作品に描かれるような家族が大切なんだっていう、なかなか良い挨拶でした。

来日したゲストが出ている、あるいは監督している作品以外含め、今回は実に内容の濃い作品が多かったです。
「カイマーノ」と「星なき夜に」は、是非日本でも公開してほしいもんです。
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2007年05月02日

イタリア映画祭2007 4日目パート5

長編4本目は、All the invisible children=それでも生きる子供たちへ
オムニバス作品で7人の監督が、子供たちの現在を描いた短編で出来ている。
イタリア映画祭で上映となったのは、この映画をプロデュースしたのが、イタリア人のStefano Venerusoだったから。
ユニセフとWFP(国連世界食糧計画)がスポンサーとなっている。
既に、日本での一般公開も決まっているので機会があったら、是非見てほしい。
日本ユニセフ協会のサイトでは、触れられていないが、WFPのサイトには、ちょっとだけ宣伝がでている。
http://www.wfp.or.jp/
というわけで、ネタバレにならないように、簡単な紹介だけ。
7人の監督とその作品は次の通り。順番は監督の名字のアルファベット順となっている。これは、子供の現実を描いた作品を作ってほしいという依頼をし、内容は、監督自身に任せたため、オムニバスといっても、作品の間にストーリーとしてのつながりはないので、単純にアルファベット順にしたと、今回、来日したVeneruso氏が言っていた。

Mehdi Charef監督 Tanza
これは、タンザという名前の少年兵の話。ルワンダの内戦で、少年兵となったタンザが、敵対する部族の村に進入し、学校に爆弾を仕掛けるという任務を遂行することになるのだが、、、、
監督はアルジェリア出身

Emir Kusturica監督 Blue Gypsy
窃盗で少年院に入っている主人公が、刑期を終えて娑婆にでてくるのだが、そこに待っているのは、盗みを生業としている両親と兄弟たち、本当は理容師になりたいのだけれど、結局盗みに手を染め、、、、
監督は、旧ユーゴスラビア出身

Spike Lee監督 Jesus Children of America
湾岸戦争の後遺症に悩み、麻薬中毒患者となった父親。そしてその父親からエイズに感染し、自らも麻薬中毒となってしまった母親。そんな良心を持つ、エイズに感染して生まれた女の子が、主人公。
監督は、言わずとしれたアメリカ出身

Katia Lund監督 Bilu' e Jao
ブラジルのサンパウロに生きる幼い兄弟の日常(金を稼ぐための努力)を描いた作品
監督は、ブラジル出身

Jordan Scott & Ridley Scott監督 Jonathan
戦場カメラマンであるJonathanは、戦場での記憶にさいなまれている。気持ちを変えようと森に散歩に出かけると、、、
Ridley Scottも説明は必要なでしょうね。イギリス出身

Stefano Veneruso監督(この作品プロデューサーでもある) Ciro
盗みを働きながら、ナポリで暮らす少年Ciroの日常を描いた作品

John Woo監督 桑桑(ソンソン)と小猫(シャオマオ)
裕福な家庭に生まれ、ピアノを習い、人形に囲まれ、なに不自由ない生活をしている少女桑桑。しかし、両親は、男に愛人がいることで、離婚の危機にある。その空気を敏感に感じ取った彼女は、やり場のない気持ちを人形にぶつけ、車の窓から人形を捨てる。
捨て子として、老人に拾われ、屑拾いを手伝いながら、学校行くことを夢見て生きる小猫。
老人は、小猫を拾ったのと同じ場所で、桑桑の捨てた人形を拾い、小猫にプレゼントする。
しかし、老人は交通事故に遭い、、、
この監督も有名なんで必要ないかもしれないけど、中国出身

最初の2本は、いわゆる先進国の洗練された映画を見慣れた目には、稚拙に映るかもしれない。しかし、それに込められているメッセージは、実に重い。
Spike Leeの作品は、短編でありながら、アメリカという国がおかれている現実を、これでもか! ってほどに描き出す。とっても重く、切ないのだけれど、主人公の女の子が、その現実に立ち向かおうとするラストは、おい、大人たち、しっかりしろよ!と言われているような気がする。
ブラジルのLund監督作品は、子供たちのたくましさに脱帽。
Scott監督作品は、内容は重いのだけれど、ちょっと技巧に走りすぎかな?
今回、来日もしていたVeneruso監督作品は、Ciroの見せるあどいけなさと寂しさが印象的。でも、こういった子供たちが、「犯罪小説」の主人公たちに、いかに近いところにいるのかって現実も突きつけられる。
Woo監督作品は、豊かさってなんなのだろう?ってことと、生きるという意味を考えさせられる。それにしても小猫の笑顔が、切なくて切なくて、、、

4日目は、本当に内容が濃かった。どの作品も、機会があったら、是非見てほしいと思う。
そして、グローバル化とそれによる矛盾をそれぞれ別のスタイルで提示している。しかし、そこにあるのは、ロードムービーが描く、それぞれの場所にそれぞれの価値観があり、そこに新たな発見と希望があるってことのような気がする。

ヴィットリオ広場のオーケストラの多民族(マルチエスニック)も、ローマを舞台にしながらも、世界中を旅しているし、星なき夜の中国の旅、プリモ・レーヴィの道のヨーロッパの旅、それでも生きる子供たちへの世界各地の子供たちに寄り添う旅。

イタリア映画が、というか、イタリアの映画人が、いかに世界を見据えながら、仕事をしているのかってことを目の当たりにした気がする。
そして、その視点は、決してアメリカのハリウッド映画が、世界市場相手に作品を作っているのとは違い、むしろ、イデオロギーや国家を超えて、世界の個々人を見ようとしているようだ。
星なき夜にの中で、主人公のイタリア人技師が、中国人の通訳の女性に、どうしてイタリア語を学んだのかを聞くシーンがある。
その答えは、イタリア語はマイナーな言語だから、成績が優秀でなくても、その言葉を専攻すれば大学に行けたからというものだった。
世界の公用語と言われる英語ではなく、マイナーな言語であるイタリア語を話しているからこそ、見えてくる世界があるのかもしれない。

これで、プレミアム上映の「カビリア」と「マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶」を除いて、全作品見たことになる。
かなーり疲れたけど、今回は、実に実に、良い作品が多かった。
今から来年が楽しみだ。
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イタリア映画祭2007 4日目パート4

長編3本目は、La strada di Levi=プリモ・レーヴィの道
これは、アウシュビッツから生還したイタリア人作家である。プリモ・レーヴィのアウシュビッツから出身地であるトリノまでの帰還の道程を辿る旅を映画化したロードムービーだ。
監督は、Dopo mezza notte=トリノ、24時からの恋人たちをとったDavide Ferrario。
彼は今回も来日していて、座談会や舞台挨拶でも、ユーモアとウィットとアイロニーいっぱいの発言をしていた。
それは、映画の中でも十分に発揮されていて、見ていて思わず笑ってしまった。

アウシュビッツから始まる映画撮影クルーの旅の映像に、レーヴィの言葉がナレーションとして重なる。
60年という時を経て、映し出される映像と、当時の帰還の様子を描いたレーヴィの作品「休戦」からの言葉が、何の違和感もなく、むしろ、現在の姿を言い当てているようにナレーションとして語られるのに、奇妙な感覚を覚えた。
映画は、ソ連の崩壊やチェルノブイリ事故、新ナチス主義の台頭などを盛り込みつつ、現在をも描いているのだが、僕らはいったい、本当に戦争という悲惨な経験をきちんと認識し、進歩してきたんだろうか? あるいはまた、進歩と言われるものが、本当に幸福をもたらしたのだろうか? と。

ベラルーシで撮影中に、撮影クルーは、警察に一時身柄を拘束される。その地域は、昔ながらのソ連のやり方が色濃く残っているところで、KGBによって、監視されていたのだ。結局、すぐに釈放されるのだが、それ以降、監視員が常に同行することとなる。
監督は、その様子を、そのまま映し出していくのだが、この辺が、Ferrarioならではの、実に皮肉っぽく、かつ本質を捉えているのが、痛快だ。

直前に見た、Amelioが、発展する中国社会の内実を描き出しているとすれば、こっちは、ソ連崩壊後の東欧を描いていて、はからずも「共産主義」の表と裏を見ているような気がしてしまった。

同時に、思い出したのが、EUが統合された時に、ヴェンダースが撮った「リスボン物語」の冒頭のシーンだ。
EU統合により国境が無くなったヨーロッパをドイツからポルトガルまで車で走り抜けるのだが、EU統合の良い部分と、独自の文化が薄められていく不安を描き出していると僕は感じた。
Ferrarioの映画は、その不安を検証しているかのような感じがしたのだ。
そして、見終わった感想は、ヨーロッパはどこへ向かおうとしているのだろうか? という漠然とした不安だった。
まあ、日本人である僕が、心配することではないんだけどね。
posted by tady at 20:28| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イタリア映画祭2007 4日目パート3

長編2本目は、ジャンニ・アメリオ監督のLa stella che non c'e'=星なき夜に
一昨年の映画祭では、同監督の「家の鍵」が上映されている。
ストーリーは、イタリアの会社が、中古の製鉄用高炉を中国に売るところから始まる。
しかし、その高炉には、一部欠陥があり、保守技術者である主人公(結婚演出家でも主演しているSergio Castellittoが演じている)は、欠陥の場所を突き止め、部品を改良し、技術者としての責任感から、高炉が売られた先の中国まで、修理に向かうことにする。
しかし、買った会社は仲介をしただけで、既に転売されており、高炉を求めて、中国各地を旅することになる。
旅に同行するのは、イタリア語通訳の若い中国人女性。彼女は、イタリアでの売買交渉の際に、通訳を務めていたが、専門用語の通訳を間違えたことを技術者に指摘され、会社を首になっていた。
彼女は最初、通訳としての同行を断るのだが、見るに見かねて引き受けてしまう。

ここから先は、まさにロードムービー。スクリーンに映し出される中国の状況に、改めてびっくりした。
通訳の役を演じたのは、この映画がデビュー作となるTai LIng。デビュー作とは思えないほど良い演技だった。彼女が話すイタリア語が、また可愛らしくて良い。

隣国でありながら、中国語が分からない僕は、中国人に対してなんとなく距離感を感じたりするのだけれど、自分が理解できる言語が間に入ると、印象が違ってしまうのが面白かった。

かつて、イタリアのペルージャで、イタリア語を勉強していた頃、韓国からの留学生何人かと親しくなったのだが、もちろん韓国が分からない僕は、共通語としてイタリア語で会話をしたのだが、そのときも、同じようなこと感じた。本来なら、中国語や韓国語・朝鮮語を学ぶべきなのだと思う。なにより隣国なのだから。しかし、たとえ隣国の言葉が分からないとしても、コミュニケーションできる共通の言葉を持つことで、相互に理解し合える。
言葉は、コミュニケーションの道具であるということを強く感じた。

旅の途中で、主人公の技術者は、体調を崩し、通訳の彼女の実家に世話になる。そこで明らかになるのは、彼女がシングルマザーであるという事実。
子供と一緒にいるべきだと考える主人公は、彼女に残るように言い、一人で旅を続けようとするのだが、彼女はそれを拒否。地図でさえ、すべて中国語なのだから、イタリア人には分からないという台詞が出てくるのだが、まがりなりにも感じの分かる日本人と違って、欧米人にとっては、中国はまさに理解を絶する国なのかもしれない。
疲れは果て、トラックの荷台で眠る彼女を、運転手に託し、一人目的地へと向かう主人公が、身振り手振りでコミュニケーションを図ろうとする主人公の姿が、何ともいえず可笑しくそして切なかった。
どうにか、高炉が納入された工場にたどり着き、部品を現場の技術者に渡した後、主人公が感極まって男泣きするシーンは、印象的だった。

ハッピーエンドになればいいなぁーという余韻を残し、技術者を追いかけてきた通訳と鉄道の駅で再会するところで、映画は終わる。

アメリオがなんで、中国を映画の舞台に選んだのかは分からないけれど、欧米人にとって、全くの異文化の地で旅をさせるってことで、自らの価値観に揺さぶりをかけるってことには、成功したように思う。
日本人が見ても、きっと中国の現状を理解するのに有意義な映画だろう。
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イタリア映画祭2007 4日目パート2

長編映画1本目は、L'orchestra di Piazza Vittorio=ヴィットリオ広場のオーケストラ
今回の映画祭の案内のチラシやプログラムを見て、是非見てみたいと思っていた作品だった。
この映画祭では珍しいドキュメンタリー作品だ。

ヴィットリオ広場とは、ローマのテルミニ駅近くにある広場で、かつて僕がローマにいた頃は、時々、白菜や大根を買いに行っていた大きなマーケットがある広場だ。この広場の周辺は、移民が多く住んでおり、僕がいた頃(1980年代中頃と1990年代初め)もすでに多くの中国人が住んでいて、中国料理の食材を売る店がたくさんあったので、時々そこに買い物に行っていた訳だ。
映画は、この広場にあった古い映画館、アポロ劇場がゲームセンターになることに反対する運動がきっかけとなって作られたそうだ。
由緒あるアポロ劇場も、経営が傾き、ポルノ映画専門の映画館となり、そしてついに映画館も閉鎖されて、ゲームセンターへと改装することになっていた。それに反対する人々が思いついたアイデアが、ここを映画館だけでなく、コンサートもできる劇場にしようというもので、その目玉として考えたのが、この地区に住む、様々な国からきた移民たちによるオーケストラを結成するというものだった。
このドキュメンタリー映画を監督したAgostino Ferrenteも、監督というよりも、オーケストラを結成するための運動のメンバーという立場で、映画を作成している。

オーケストラのメンバーを探すために、ローマの移民社会に足を運ぶのだが、その様子を見ると、ローマがいかに多国籍化しているのかがとても良く分かった。

映画の中では、イタリアの移民に関する法律(ボッシ-フィーニ法)の問題や、移民を受け入れようとするイタリア人と、移民を排斥しようとするイタリア人の対立が浮き彫りになっている。

つい最近、前ベルルスコーニ政権下でできた、移民を排斥する傾向が強いボッシ−フィーニ法の改革案が政府から提出されたというニュースがあった。移民というと、僕ら日本人は関係がないと思ってしまうわけだが、EU圏外の国は、すべてこの法律に縛られるわけで、イタリアに住みたいとか、イタリアで働きたいという日本人にとっても、大いに関係する法律だったりする。

この作品の制作が始まったのは、2001年で、完成したのは2006年。ちょうど、ベルルスコーニが政権についていた時期と重なる。

2002年11月24日に、EUが主催するコンサートに、ヴィットリオ広場のオーケストラが出演することになり、実態のないオーケストラを、その期日までに作り上げ、リハーサルも済ませなければならないという状況に、追い込まれていく。

オーケストラを結成しようという人々の奔走により、実に様々な国のミュージシャンたちが、集まってくる。そして、そこで奏でられる音楽も多種多様。それをまとめあげ、ひとつのオーケストラとして作り上げていくまでの課程もまた、克明に描かれていて、実に面白い。

ただ、オーケストラには、一番人口の多いと思われる中国人は参加していないし、韓国人や日本人もいない。
参加メンバーのほとんどがいわゆる第3世界の人たちなのだ。
ふと、思ったのは、音楽という芸術を作り上げる創造力というものには、ハングリー精神が必要なのかもしれないということ。日本や韓国という豊かな国では、ある意味、生の形での音楽表現というものが、失われているのではないか?と思ってしまった。
中国人は、外に対して閉鎖的な移民社会を作る傾向があり、イタリアにおいても、なかなかイタリア社会とけ込めないという現実はあるようだ。先月も、ミラノで、中国人移民が暴動を起こすという騒動があったのだが、彼らは、閉鎖的で独自の移民社会をイタリアにおいても形成しているようだ。これは、ベクトルは違うかもしれないけれど、イタリアの日本人社会でも同様の傾向を持っているように思う。

映画では、マルチエスニック音楽が、様々な苦労を経て、どうにかできあがり、2002年のコンサートが行われるところまでこぎ着ける。
しかし、第1回目のコンサートの後も、カメラは回り続け、2006年までのオーケストラの動きを記録する。
上映後の質疑応答の中で、どうして第1回目のコンサート終了後、映画の完成までに時間がかかったのか?という質問があったのだが、監督は、この作品について、オーケストラを記録する映画ではなく、オーケストラに参加している人間を追ったドキュメンタリーなので、それぞれの楽団員を描くために、オーケストラ結成後もカメラを回し、一人一人について、その人間を描くことができるまでに、それだけの時間を要したのだと語っていた。
今回の映画祭開始時点では、日本での配給会社が決まっていなかったようだが、配給会社が決定したそうで、一般公開が行われることとなったそうだ。
監督は、映画では、人間を描くことに力点を置いたので、十分に伝えることが出来なかった音楽を、オーケストラが来日することで、伝えることが出来るのではないかという話をしていたので、日本での一般公開の際には、オーケストラのコンサートがあるかもしれない。
ちょっと楽しみだ。
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イタリア映画祭2007 4日目パート1

イタリア映画祭4日目は、実に濃い内容だった。
短編映画3本と長編4本。
長編の3本目を見たときに思ったのだけれど、この日の映画をつなぐキーワードはロードムービーと言っても良いかもしれない。
パート1では、まず、短編をまとめてコメントする。
Un inguaribile amore=癒しがたき愛
これは、難病を患っている夫と妻の会話を淡々と描いた作品だ。会話と言っても、夫は、顔の筋肉を動かすことは出来るが、他の部分は全く動かせない寝たきりの状態で、特別な文字盤(透明なボードに、アルファベットや記号が貼り付けてある)使って、目の動きを見て、彼が目線で指した文字をつなげて文章にし、彼の言いたいことを読み取るという会話だ。
彼は10年も寝たきりで闘病生活を続けており、妻は、その彼をずっと看病している。会話の内容は、実にストレートで、お互いに言いたいことを言い合い、不満をぶつけ合い、そしてお互いの愛情を疑い、また確かめる。
この映画を見ていて、昨年、自らの意志で、生命維持装置を外し、尊厳死を選んだWelby氏のことが頭をよぎった。
また、同時に、人を愛すること、愛し合うことのある意味究極の姿を見た気がした。密度の濃い、素晴らしい短編だった。
ネットで調べたらこの映画のサイトがあった。
http://www.conoscicesare.org/il-film/
一部をビデオクリップとして見ることができる。
http://www.conoscicesare.org/wp-content/uploads/
img/Clip_Un_Inguaribile_Amore.mpg

昨年のダヴィデ・ディ・ドナッテロ賞短編部門で、最優秀賞を受賞している。
16分の作品だが、全編を見たい場合は、10ユーロ以上の寄付金で、DVDを購入することができるようだ。
闘病にかかる費用に充てる寄付金も募っている。

News
アニメーションの手法による4分の短編。
新聞の切り抜きと、その内容をアニメにして見せるという形式。
いわゆる手書きの絵を重ねていくことでアニメーションにしており、動きは面白いのだけれど、伝えようとしている内容を理解するには、相当のイマジネーションが必要かも。個人的には、あんまり評価できなかった。

Zakaria
イタリアに住む、イスラム教信者の移民の子供と思われる男の子が主人公で、アラビア語を学び、イスラムの礼拝を学ぶ姿が描かれている。
彼は、イタリアで生まれたのだろうか? アラビア語を全く知らず、発音から学んでいく。礼拝の仕方も知らなくて、同じZakariaという名前の同年代の男の子に、教えてもらう。
この少年を通して、その背後に広がる、イタリア社会の大きな変化を感じることが出来る作品だった。
イタリア社会の変容は、この後の長編でも出てくる。
posted by tady at 00:01| ローマ | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月01日

イタリア映画祭2007 3日目

3日目に上映されたのは、短編1本と長編3本。そして座談会があった。
一番最初に上映されたのが。Do you see me?=見えますかという短編で、絵が動くっていうまあありがちな内容で、ちょっとひねってあったのは、絵のこちら側の世界と向こう側の世界の時間の流れが違うっていう点。

続いて上映された長編1本目は、フランチェスカ・コメンチーニ監督作品の、A casa nostra=私たちの家で。
メインのストーリーは、財務警察の女性捜査官と闇取引を行っている銀行家との闘いなんだけど、その周りで展開する様々なサブストーリーが、最後に交差していくって話。映画としては良くできている。
昨年のヴェネツィア映画祭で銀獅子賞を受賞し、また受賞は逃したものの、アカデミー外国映画賞部門にノミネートされた作品。
女性捜査官が、銀行家の電話を盗聴し、しっぽをつかもうとするも、盗聴の情報が、銀行家とつながっている判事から漏れていて、なかなかうまくいかない。タイトルの「私たちの家で」は、捜査官が、銀行家の家に乗り込み、面と向かって、あんたらのやっていることは、私たちの家の中で不正をやってることなんだからね!啖呵を切るシーンからきている。銀行家や政治家、官僚といった連中は、私腹を肥やすために、ちゃんと働いて家=国を支えている人々を裏切っているという痛烈は批判が込められている。

2本目は、Il mio miglior nemico=わが人生最良の敵。
監督は、主演もしているCarlo Verdone。
大手ホテルチェーンの娘と結婚し、支配人をしている男が、あろうことか、妻の兄=義兄の妻と浮気をしている。彼は、ホテルの客室係が、客のパソコンを盗んだということで解雇するのだが、それを逆恨みした、客室係の息子が、浮気の事実を知り、暴露してしまうところから、彼の人生は、どん底へと向かう。
一方、客室係の息子は、ある女性と恋に落ちるのだが、その女性とは支配人の娘だった。
父親の浮気と父親を貶めたひどい恋人に幻滅した支配人の娘は姿をくらます。
こうして、母親を解雇され支配人を敵としてつけねらう若者と、その若者に自分の人生をメチャクチャにされてしまった元支配人とが、一方は愛する恋人のため、もう一方は愛する娘のために、二人して、恋人=娘捜しの旅に出る。
喜劇仕立てで、かなり笑えるのだけれど、見終わった感想は、人を愛するということを教えてくれるホンワカした気持ちになれる作品となっていた。

2本目の後に座談会があったのだが、そのときの話は、あとで

3本目は、昨年イタリアで話題となったRomanzo Criminale=犯罪小説
原作を読み始めたのだが、結局映画を見る前に読み終えることは出来なかった。
映画の方は、原作を元にしつつも、登場人物やその関係が、映画用にかなり脚色されていた。
原作の小説の元となった、Ragazzi di mala vitaというノンフィクションを読んでいたので、映画の内容も把握できたけれど、舞台となった1970年代から80年代のイタリアの政治状況が分からないと(裏の政治状況も含めて)理解は難しいかもしれない。
映画で強調されていたのは、ローマのギャング団が、シシリアマフィアに取って代わり、ローマを支配下に治めようとする課程で、国家権力の闇の部分と手を結び、国家が行ったテロ事件と言われている実行犯として、国家に使い捨てられていったという側面だ。
赤い旅団がアルド・モロ首相を誘拐し、警察が必死で監禁場所を探し出そうとする中、国家の闇の組織から、ギャング団にも捜査依頼が入る。ギャング団の持つ情報網を介して、誘拐された首相の居場所が分かるのだが、そのとき、国家は、誘拐された首相を見殺しにする決定を下す。
また、ボローニャ駅で起きた爆弾テロ事件も、国家が依頼し、爆弾を仕掛けた実行犯の殺害をギャング団が依頼され、証拠隠滅の役割を担わされる。
もちろん、この映画はフィクションであり、本当にそうだったのかは、分からない。しかし、この映画で描かれたようなことが、もしかしたら行われたのかもしれないってことは、イタリア人なら、うわさ話として、みんな知っていることだろう。
こういった予備知識がないと、映画の語ろうとしたことの半分くらいは分からないかもしれない。
いずれにしても、ナンニ・モレッティのカイマーノといい、ミケーレ・プラチドのこの映画といい、全く別のスタイルをとりながらも、イタリア社会の暗部に切り込んでいこうという方向性が見られた。
日本だと、最近は、そういう映画が全然無いのだけれど、昔の映画で言うと、大島渚の「日本の夜と霧」(僕は未見だけど)に近いのかもしれない。
posted by tady at 00:54| ローマ ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月30日

イタリア映画祭2007 2日目パート2

3本目は、ずーっと見たかったナンニ・モレッティの最新作「Il Caimano」だった。
舞台挨拶には、新人映画監督の役を演じたJasmine Trincaが立った。ナンニ・モレッティの「息子の部屋」でデビューした、まだ20代の若い女優だが、輝ける青春、恋愛マニュアル、そして今回上映される犯罪小説にも出演している売れっ子だ。挨拶は若者らしい初々しさのある爽やかなものだった。
映画の内容は、期待以上のもので、大満足。僕はイタリア政治に関心があるので、見方がついつい偏ってしまうのだが、今回のプログラムの解説にあるように、そしてまた、Trincaが舞台挨拶で述べたとおりの、単なる政治的プロパガンダ映画ではなかった。
解説では、イタリアの政治状況、家庭の崩壊、映画産業の危機を描いているとあるのだが、まさにその通りで、主人公の映画プロデューサーが、離婚の書類に署名した後、別れた妻と別々の車を運転しながら、別れを惜しむように、前になり先になりしながら車を走らせるシーンには、ついつい切なくなって自分の過去の記憶の思いと重ねてしまうところがあった。
しかし、なんと言っても、僕の目から見ると、ベルルスコーニの本物が映っているニュース映像を使って、彼がいかにイタリアを堕落させたかをここまで映画として描き、また、途中で降板してしまった役者の代わりとして、カイマーノ=ベルルスコーニを演じたモレッティの迫真の演技はすごかった。
びっくりしたのは、昨年この映画とともにダヴィデ賞を争った「犯罪小説」の監督であるミケーレ・プラチドが役者として出ていたこと。元々、社会派俳優として、マフィアをあつかったテレビシリーズなどに数多く出演しているプラチドの面目躍如って感じの演技だった。
イタリアの政治状況が分かれば、この映画がどれだけ凄いのか、なぜ、ベルルスコーニが恐れたのかってことがよく分かると思う。
この映画祭に先立ち、イタリアではSKYというペイTVでの放映が急遽中止になったんだけど、その理由は地方選が近いため、テレビにおける政治的主張の機会均等を定めた法律に触れそうなので中止するってものだったのだけれど、今日見てみて、その意味がよーく分かった。
上映後の質疑応答で、ちょっと興味があって、モレッティとプラチドって撮影中はどんな感じだったのかって聞いてみたのだけれど、なかなか良い感じだったそうだ。Trincaは女優として、二人の監督作品の出ているわけで、時間があればもう少し突っ込んだ質問もしてみたかったのだけれど、それは出来なかった。

4本目は、Rosso come il cielo=ミルコの光(原題を直訳すると「空のような赤」となるのだが、空とは夕焼け空を意味している)
これは、現在イタリア映画界で、サウンド・デザイナーとして活躍している盲目の音職人Mirco Mencacciの少年時代の実話に基づく作品だ。監督が来日していて、舞台挨拶に立った。

父親の猟銃をいたずらしていて暴発し、その事故によって視力を奪われた主人公は、視覚障害者は、盲学校に行かねばならないという当時の法律により、親元から寄宿舎のある盲学校へと行かされることになる。
しかし、そこでの教育は、盲人として、手に職をつけるための職業訓練が主で、子供たちの持つ創造力や自立心といったものをすべて抑圧してしまうものだった。
そんな中、主人公は、担当教師の理解もあり、テープレコーダーという道具を使って、新しい音の世界へ創造の翼を広げていく。
途中、盲学校を抜け出して、みんなで映画を「見に」行くシーンがあるのだけれど、目が見えなくても映画は楽しめるんだってことを、目の見える僕にも分からせてくれた。
後半は、盲学校の学芸会のために、子供たちが、自ら脚本を書き、様々な音を作り出していくのだけれど、発表会のシーンは、まさに目をつぶって映画を見たいという衝動に駆られた(イタリア語が分からないとダメだけど、、、)。
ラストシーンが終わって、クレジットが画面に出てきたところで、会場からは大きな拍手が沸き上がった。そして、クレジット・ロールが終わると再び大拍手。
ほんとうに良い映画だった。絶対におすすめ。日本ではこの秋に一般公開が決まっている。チャンスがあったら、是非見てほしい。

上映後の質疑応答で、映画の中で使われていた言葉について、ちょっと気になったので質問してみた。
それは、日本でも、障害者差別にあたるということで、多くの言葉が言い換えられているわけだが、イタリアも同様で、視覚障害者に対しては、一般的にCieco(=日本語だとメクラにあたる)という言い方をするわけだが、最近は、non vedente=目の見えない人という言い方をする。ところが、クレジット・ロールを見ていたら、イタリア盲人協会はそのcieco(複数なのでCiechi)という言葉を使っていた。
そこで、こういう映画を撮った監督として、言葉についてどう思うかを聞いてみたかったわけだ。
答えは、問題は、言葉上のことではなく、視覚障害者とどういう関係性を築けるのかだということだった。障害者を可哀想だと同情的に見るのは、健常者の側であり、視覚障害者がもっとも言ってほしくないのは、目が見えなくて可哀想という言葉であること。目が見えないということは、確かに不自由ではあるけれど、単に不自由だと言うだけで、普通の人間であり、恋愛もすれば喧嘩もするのだから、普通の人間であるということを否定してしまうような同情心は、うれしくないって話だった。監督も、この映画を通して、視覚障害者と付き合うようになって、一緒に食事にでかけたりすると、お互いに「おまえ、メクラじゃん」などとジョークを交わしあうのを聞いて、びっくりしたと同時に面白かったという趣旨のことを語ってくれた。
個人的には、もう一度、後半のシーンを目をつぶって見てみたいと思った。その方が、イマジネーションがずっとずっとふくらむはずだから、、、、
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2007年04月29日

イタリア映画祭2007 2日目パート1

2日目は、かなり密度の高い作品が4本。
そして4本とも、俳優や監督が来日していて、すべてに舞台挨拶と上映後の質疑応答があった。

一気に書くと、日にちをまたいでしまいそうなので、ブログの毎日更新が中断してしまいそう。
というわけで、最初の2本をパート1で、後の2本をパート2にしてい書いていく。

1本目は、N-Io e Napoleone=N−私とナポレオン
2005年のイタリア映画祭で上映された「カテリーナ、都会へ行く」を撮ったPaolo Virzi'監督作品で、ゲストとして、主演俳優のElio Germanoが舞台挨拶を行った。
内容は、エルバ島に島流しになった、ナポレオンと彼の書記として雇われた若者の話。
ナポレオンの英雄としての側面と独裁者としての側面を描いている。
歴史にあんまり詳しくない僕には、時代背景がよく分からなくて、重要な部分を見逃している可能性大だ。
多くの兵士を戦死させ、罪人としてエルバ島に囚われの身となるナポレオンに対して、民衆の多くは、英雄がやってくるというとらえ方をし、一方主人公とその恩師は、独裁者として多くの若者を殺害した悪人と捉えている。
その若者が、皮肉なことにナポレオンの書記となり、暗殺のチャンスを狙いながらも、彼の人間性に惹きつけられていく。しかし、ナポレオンはその本性を現し、彼の恩師を銃殺刑に処し、かつての恋人(まあ彼が若いツバメであったわけだが)の男爵夫人を連れてエルバ島を脱走。
ナポレオンは、百日天下を取るわけだが、その際にも多くの戦死者を出し、セントヘレナ島に再び流される。

それを知った主人公は、一度はあきらめるものの、再び銃を手に取り、ナポレオン暗殺に向かう。
最後に、字幕で、主人公がセントヘレナ島に到着したのは1821年5月6日(だったと思う)で、時すでに遅しであったと出てくる。
ナポレオンがいつ死んだのか分からなかったのだが、暗殺に間に合わなかったってことらしい。

映画の中で、なんと言っても目を引いたのは、モニカ・ベルッチ演じる男爵夫人の妖艶さだ。彼女が画面に現れるだけで、がらっと雰囲気が変わってしまうのはすごい。誰かに似ていると思ったのだけれど、往時のステファニア・サンドレッリの美しさだと思い当たった。

2本目はL'amico di famiglia=家族の友人
これは、昨年のイタリア映画祭で上映されたLe conseguenze dell'amore=愛の果てへの旅を撮ったPaolo Sorrentino監督作品だ。昨年来日した友人に、何でも良いから気に入った映画のDVDがあったら買ってきてほしいと頼んでおいたら、この映画のDVDを買ってきてくれた。
今回の作品は、老獪な高利貸しの小男が主人公の話なんだけど、その男を演じたGiaccomo Rizzoが来日していて舞台挨拶を行った。元々喜劇畑出身の彼は、軽いジョークで会場を沸かせた後、映画はかなり暗くて重いので、最初にちょっと笑ってもらおうと思ってと話したのだが、確かに、重い内容の話だった。
家族のことを思う友人のような素振りをして近づき、困っている人に、親切顔でお金を貸し、返済できないとなると冷酷に振る舞うという役どころで、喜劇役者とは思えない渋い演技が光った。
結局、友人に諮られて、有り金全部と、淡い恋心を抱いていた若い女性を持ち去られ、ずーっと看病をしていた老母にも死なれてしまうという悲惨な結末だ。
ただ、ラストシーンに、金属探知機を手に、砂浜を歩く主人公が、砂の中からコインを見つけだし、満面の笑みを浮かべるところが、この映画を救っていると感じた。同時にまた、砂の中から小銭を拾い集めるように、地道に生活していけよってメッセージが込められているのかなとも思ったりした。
映画の中では、友人の謀りごとに協力したしがない役者をローマまで追いかけていくシーンがあるのだが、具体的に地名が分かるシーンの印象が強かったせいか、ローマを舞台として話と勘違いしていた人もいたようだ。
しかし、内容を見る限りは、イタリア南部の小さい町が舞台だと思う。
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2007年04月28日

イタリア映画祭2007 1日目

今日から、イタリア映画祭2007が始まった。
ここ数年、ほぼ全作品を見ているのだけれど、今年もパスポートっていうほぼ全作品を見られるチケットを買ったので、GWの前半は、映画漬けの日々となる。
今回は、長編作品が15本。そして短編が5本上映される。

まず用意するのが目薬。そしてお弁当だ。長時間スクリーンを見続けていると、目薬は必需品。そして、上映と上映の間が1時間しかない。それも、30分前には、整理券順に入場が始まるので実質30分の間にお昼を食べたり、飲み物飲んだりしなければならない。

今年、行ってみて痛かったのは、去年までは会場内に喫煙所があったのに、今年は全館禁煙とのことで、映画を見終わって、切れたニコチンを補給するために、一度1階まで降り(会場は11階)、外に出て、隠れるように吸うしかない(会場は千代田区にあるので、路上喫煙も禁止。見つかると罰金確か2000円か3000円とられるはず)。

今日は初日ということで、上映は午後からだった。それでも10時には、当日上映分の整理券が配布されるので10時前には会場に行かなければならなかった。
購入したチケットをパスポート券に交換し、整理券をもらうのにまたもや列に並ぶ。
整理券をどうにかもらい、上映までのわずかな時間に昼食。

今日は午後からだったので、多少時間の余裕はあるだろうと踏んで、お弁当は持たずにラーメンを食べる予定にしていた。どんなラーメンを食べたかについては、週末にまとめて書きます。
時間がないので、開店と同時にラーメン屋に突入し、ささっと食べて会場へ戻る。

どうにか、11時半の入場時間に間に合って、これで良い席が取れると思いきや、会場内に入ったら、昨年までは自由席だったところ(=一番良い席)が全部指定席になっていて、がっくり。
これでは、なんで早くから並んだのかわからない。
それでも、とりあえず前の方の席が確保できた。
期間中に、一つの作品が2回上映されるのだけれど、初回上映時に、海外ゲストがいる場合は舞台挨拶があるので、前の方に座った方がいいからだ。

続けて何本も見ると、訳がわからなくなってしまうので、記憶が確かなうちに感想だけでも書いておきたい。
で、今日見た作品について。

最初に上映されたのは、Sergio Castellitto監督の短編、Sono io=私です。
小さい頃に生き別れとなった母親と娘の再会を描いた20分ほどの作品なのだが、短編にもかかわらず、細かい心の機微がユーモアとともに描かれていて、とても良かった。監督は、イタリアの有名な俳優でもあり長編作品を期待してしまう。
引き続き上映されたのは、短編を監督したSergio Castellitoが主演するIl regista di matrimoni=結婚演出家。日本でも一般公開された、アルド・モロ首相暗殺事件をあつかった「夜よこんにちは」を撮ったMarco Bellocio監督作品だ。夢と現実が入り乱れる構成で、歴代イタリア映画がストーリーのあちこちに出てくるので、イタリア通でないと、かなーり難解な作品かもしれない。また、ダヴィデ賞がイタリア映画人にとっていかに大きな存在かってことを皮肉とともに感じさせてくれた。映画をどう解釈するのかって話が好きにな人にいいかもしれないが、エンタテイメントを求める人にはきっと退屈な映画だろう。本当だったら、ラストシーンをどう解釈するのか、余韻に浸りながら考えたいところなんだけど、多数の作品の連続上映って映画祭の性格上それはできなかった。

長編作品2本目は、Kim Rossi Stuart監督のAnche libero va bene=気ままに生きて。
イタリアでも高い評価を受けたと報道されていた作品なので、今回の映画祭でも楽しみにしていた1本。
さらに、うれしかったのは、監督本人が来日していて、舞台挨拶をしたこと。思わずデジカメでパチパチ撮ってしまった。
内容は、男を作ってはすぐにいなくなってしまう母親を持つ、少年が主人公の話で、父親役がKim Rossi Stuart、母親役がBarbora Bobulova。しかし主人公の少年を演じたAlessandro Moraceが実に良かった。
僕の知り合いのイタリア人の何人かも、離婚していて、その子供たちもよく知っているのだけれど、映画とはいえ、イタリアの家族がおかれた現状を克明に描いているって感じがした。
でも、だからどうするの? ってところが今ひとつで、現状を多少なりとも知っていて、その子供たちとも少しだけだけど、話した経験のある僕としては、崩壊しつつある家庭の家族愛を描いてはいるのだけれど、大人の側からの展望というか、希望を子供たちに伝えるようなものが無くて、ちょっと消化不良という感じ。

長編3作目が上映される前に、開会式があった。
今回の映画祭にゲストとして来日した7人の監督や俳優がステージに登場。
さらにびっくりしたのは、イタリアの家族問題担当大臣である、Rossi Bindi大臣の来日していて、挨拶をしたこと。いつも、ネットで見る新聞記事に登場している有名政治家が目の前にいるっていうのに、ミーハー的に感激。
今回の来日ゲストについては、3日目の座談会に出席するはずなんで、そのときに詳しく紹介します。

で、長編3作目は、20世紀初頭に、アメリカへと移民していった、シシリアの家族を描いた、Emanuele Crialese監督のNuovomondo。
昨年のVenezia映画祭で銀獅子賞を受賞した作品。
現在、イタリアでは移民問題が、大きな社会問題となっているのだけれど、イタリア社会が、移民に対してルーズというか寛容なのは(法的には全然ちゃんとしてないのだけれど、、、、)こういう過去があるからなんだってことが分かった。また、二つの文化がぶつかり合う時に、どのような摩擦生じるのか、ナチスドイツの優生保護思想に反対していたはずのアメリカが、移民に対してどのような政策をとっていたのか、などもわかり、実に興味深かった。過去の歴史を描きながら、現実の問題と密接に関わっているってことを思いながら、スクリーンを見ていた。
今日見た中では、一番のおすすめ。
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2007年04月19日

イタリア映画は無し

第60回カンヌ映画祭の参加作品が発表されたようなのだが、コンペティション部門には、イタリア映画が1本もないらしい。
http://www.ansa.it/opencms/export/site/visualizza_fdg.html_2140471912.html
コンペティション以外の部門で、イタリアの製作会社が作った2本のフィルムが参加するらしいが、パルム・ドールを争う作品は、無しってことだ。これは2000年以来のことだそうだ。
昨年は、話題作が目白押しだった感のあるイタリア映画界も、今年は一休みってことなのか?
Tre metri sopra il cieloの続編であるHo voglia di teが大ヒットしたみたいだけど、若者受けはしても、映画としては、あんまり良くなかったてことかも、、、少なくともTre metri、、は、僕もDVDをイタリア人の友人に買ってもらって手に入れたけど、結局最後まで見ることはなかった。原作も読んだけど、まあ、なんというか、、、、、、Ho voglia di teも原作は手元にあるんだけど、読む気がしない。
カンヌにノミネートされなかったからといって、イタリア映画がつまらなくなったとは思えないのだけれど、確かに最近は面白うそうなのはあんまりないようだ。
カンヌ映画祭は、5月なので、これから公開されるイタリア映画は対象にはならないのだろうけど、今、期待しているのは、ナンニ・モレッティが主演するという、ストレーガ賞受賞作品が原作の「Caos calmo」だ。どのような出来になるのか、ちょっと楽しみではある。原作はかなり面白かった。
posted by tady at 23:18| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月07日

Blood Diamond

今日封切られたので、早速見てきました。
ディカプリオは、格好良すぎですね。
導入部分の夜明けのシーンの美しさ。ダイヤモンドを巡る白人社会の動き。現地でダイヤを調達する密輸人。
そして、少年兵を恐怖と麻薬で作り上げていくシーン。この辺まではかなり説得力があったんだけど、内戦が始まり、戦闘シーンが多くなってくると、やっぱり、アメリカ映画かぁーと思ってしまいました。
しかし、後で、プログラムを買って読んでみたら、これらの戦闘シーンも、かなりリアルに再現したものだったようです。

もうひとつ、白人のアフリカ人のアイデンティティについても、考えさせられたました。ディカプリオの英語は、かなり現地の人の発音に近い英語だと思われ、最初に出てきた時から、なんらかの背景がある白人なんだろうと思ったのだけれど、映画の中の設定は、アフリカ生まれの白人で、両親を内戦で殺されたってことになってました。
アフリカの土の色が赤いのは、流された多くの血を吸い込んでいるからだっていうセリフがあって、それが、彼の最後のシーンへとつながっていました。

映画の方は、ディカプリオ演じるアーチャーが死んだ後から、再び白人社会のまやかしを描き出します。
戦闘シーンよりも、こっちの方をもう少し詳しく描いてくれればいいのにと思っちゃいました。
エンタテイメントとしては、戦闘シーンが重要なのかも知れませんけど、、、、

最後の字幕に、今でも紛争ダイヤモンドは流通していて、それを買うか買わないかは、消費者の問題だってなことが書かれていました。
叶姉妹あたりにこの映画を見せて、感想を聞いてみたいもんです。

気になる映画を見たときは、プログラムも買うんだけど、今回も買いました。
なかなか良くできたプログラムで、お勧めです。
ディカプリオはエコロジー運動に関心があるそうだし、ジャーナリストを演じたジェニファー・コネリーは、アムネスティを支援しているとか。他にも、アムネスティー日本支部の人の文章や、実際にシエラ・レオーネで、国連派遣団の一員として武装解除を担当した人の文章もありました。

客席はガラガラで、あまりウケも良くなかった見たいだけど、個人的には、2時間半近い映画なのに、途中だれることもなく、見終りました。ただ、見終った後は、いまいちって感じでした。こういう社会問題を映画化することの難しさなんでしょうね。
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2007年03月04日

イタリア映画祭2007公式サイトopen

今年も、ゴールデンウィークに開催される、イタリア映画祭の公式サイトがopenしたようだ。
http://www.asahi.com/event/it07/index.html
毎年楽しみにしてるんだけど、同時に拷問のような日々でもある。1日3本から4本、朝から晩までイタリア映画を見続けるというのは、かなりしんどい。
それでも、この映画祭でしか公開されない作品も多く、どうしても見に行ってしまう。
今年上映される作品は、ここ
http://www.asahi.com/event/it07/works.html

プラチド監督の「犯罪小説」は、同名タイトルの小説の映画化。現在原作の方を読んでいるんだけど、なかなか進まない。映画を見るときまでには、読み終わっていたいもんだ。この小説の下敷きとなっているノンフィクション「Ragzzi  di Malavita」は、かなり以前に読んでいて、ローマのチンピラが、犯罪者となっていく実話が実におもしろかった。映画ではどのように料理しているんだろうか?

キム・ロッシ・スチュアート監督の「気ままに生きて」も興味がある。「家の鍵」で、お父さん役をやった俳優の初めての監督作品で、イタリアで公開された時には、とても評判が良かったみたいだ。

ナンニ・モレッティ監督の「カイマーノ」は、是非みたい話題作。ベルルスコーニは、政権から去ってしまったが、まだまだホットな映画だと思う。イタリア映画祭のサイトの作品紹介では、大統領選とあるけど、それは間違い。総選挙を前に発表されている。だいいちベルルスコーニは大統領には「まだ」なっていない。

とりあえず、この3本は絶対見逃せないと思っている。そのほかにも、面白そうな作品がたくさん。
チケットの発売は、3月17日からってことなんで、それまでじっくり考えて、特別上映作品を除いて、全作品を見られるパスポートにするか、それとも見たい作品だけをチョイスするか、しばし悩んでみよう。
posted by tady at 09:27| ローマ ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月04日

不都合な真実

昨日、よやく見てきました。
映画っていうよりも、アル・ゴアの講演会の記録って感じでした。
地球温暖化に関心のある人なら、既に知っていることなので、それほど新鮮味はなかったです。
知らない人が見ると、びっくりかも、、、、
それでも、地球温暖化に関して、アメリカのメディアがいかに情報操作をしているのかって話は、面白かったです。
ある意味、アル・ゴアの政治的プロパガンダの映画ではあるのですが、あれだけの信念をきちんと持って、政治活動をしている政治家がアメリカには居るってことに、ちょっと感動。
日本の政治家にゴアみたいな人は、居ないんじゃないかと思うと、ちょっと情けない気持ちがしました。
講演会の記録を映画として成立させてしまい、それもメジャーな映画館で上映させてしまうってことだけでも、評価したいと思います。
ただ、現在、地球温暖化を食い物にする投機筋が出てきているってことも忘れてはならないことです。
メキシコで、主食であるトルティージャの価格の高騰(4倍になってしまったそうですが)に、市民がメキシコシティーでデモを行ったという記事が、イタリアのサイトに出ていました。
http://www.canisciolti.info/news_dettaglio.php?id=1326
メキシコは、トルティージャの原料であるトウモロコシをアメリカから輸入してるんだけど、そのトウモロコシが、地球温暖化を防ぐためのバイオ燃料として利用されることから、投機の多少となり、価格が急上昇してしまったのが、原因らしいです。
デモに参加した人々は、環境保護主義者が、トルティージャの価格を高騰させたと考えているとの報道もあったりしました。しかし、本当は、地球温暖化対策にそっぽを向き、なんら取り組みもしないアメリカの資本家たちが、温暖化関連で金が儲かるということで、投機に走っているってことが実態なのでしょう。
「不都合な真実」の中の印象的なシーンは、温暖化対策に反対する経済界が、作ったスライドにゴアがコメントする場面でした。
金の延べ棒と地球を天秤ばかりにかけて、経済と環境のどちらが大切かと訴えるつもりのイラストなんだけど、ゴアがコメントしたように、地球が滅びてしまったら、経済活動自体も存在し得ないっていう、最も単純かつ重要なことを、アメリカ経済界=ブッシュ政権は理解していないようです。
日本企業は、まだその辺を理解していて、温暖化を防ぐために技術を開発しているようですが(映画の中でもTOYOTAとHONDAの車が例に出ていました)、政府のほうが、京都議定書を作った国であるにもかかわらず、事の重大さを全く理解していないのではないかと思ってしまいます。
posted by tady at 23:21| ローマ | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月26日

Moretti@Torino Film Festival

正式に、ナンニ・モレッティが、トリノ映画祭の芸術監督に就任し、トリノで記者会見が行われた。
http://www.lastampa.it/Torino/cmsSezioni/cronaca/200701articoli/1190girata.asp
http://www.repubblica.it/2006/12/sezioni/spettacoli_e_cultura/
moretti-direttore-torino/risolto/risolto.html
http://www.corriere.it/Primo_Piano/Spettacoli/2007/01_Gennaio/25/moretti.shtml
メディアの伝え方も様々なので、とりあえず、トリノの新聞スタンパとレップブリカ、コリエレにざっと目を通した。
「このような形で、決着がついて満足」とモレッティは述べていて、これで、ようやく全て丸く収まったようだ。
モレッティは記者会見で「ようやく仕事の準備が始まったところで、本当の仕事はこれからだ」と答えたと言う。また、どのような映画祭になるかについては「今までの映画祭を引き継ぎ、新しい何かを加えたいが、まだ今の所それが何かについては、明確なアイデアはない」と語ったらしい。
今年は、監督として映画を撮る予定はないそうで、映画祭に全力投球ってことらしい。しばらくはトリノとローマの間を行ったり来たりの生活になるが、トリノに引っ越してくるつもりはないとも言っている。
ヴェネツィアとローマの映画祭にも触れて、この二つもなくてはならない映画祭であり、トリノ映画祭は競う合うつもりはなく、トリノの特色を活かした映画祭にしたいとのこと。国際コンペティション部門の他に、イタリアの短編映画部門やイタリアのドキュメンタリー映画部門などを考えているそうだ。
実験的映画を中心に運営されてきたトリノ映画祭らしさは損なわれないようだ。
いずれにしても、今年の秋は映画祭目白押しになるわけで、イタリアには行けそうにないけど、これらの映画祭を通して、良い作品がたくさん出てくれば、そのうち日本でも公開されるのではと、期待する次第だ。
posted by tady at 07:06| ローマ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月19日

雨降って地固まる???

トリノ映画祭のすったもんだに、決着が付きそうだ。 
http://www.ansa.it/opencms/export/site/
notizie/rubriche/inbreve/visualizza_new.html_2079639525.html
 
http://www.repubblica.it/2006/12/sezioni/spettacoli_e_cultura/moretti-direttore-torino/rondolino-dimissioni/rondolino-dimissioni.html
 
一度は、芸術監督就任依頼を受諾したナンニ・モレッティだったが、映画祭の運営を巡って、トリノで揉めた為、就任を辞退したんだけど、モレッティ就任に強硬に反対していた前主催団体Associazione Cinema giovaniの代表であるGiovanni Rondolinoが一身上の都合で代表を辞任する事になったそうで、モレッティ就任の障害は取り除かれたってことらしい。
 
次回の映画祭の運営にあたっては、対立していた団体も一緒になって、Associazione Cinema Giovaniとトリノ市、ピエモンテ州、 il Museo del Cinema が、議論をして決める事になるようだ。
 
モレッティが改めて就任要請を受けるかどうかが、今後の焦点なわけだけど、雨降って地固まるになるといいんけどね。
posted by tady at 13:57| ローマ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月17日

恋愛マニュアル2いよいよ公開

といっても、恋愛マニュアル1は、日本では昨年のイタリア映画祭で上映されただけで、一般公開もされていないので、実にマイナーな話ではある。
イタリア映画祭で上映されたときは、評判も良く、日本でも一般公開されると思っていたのだが、未だに公開される様子はない。
日本語でも多少紹介されているようなのでそのサイト
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=6903

イタリアでは大ヒットした映画で、多くの人がその続編を待ち望んでいたようだ。
今週の金曜日19日からイタリア全土の750の映画館で公開されるそうだ。
公開を前に行われた記者会見の様子が、多くのメディアで報じられている。
http://www.lastampa.it/_web/cmstp/tmplrubriche/cinematv/
grubrica.asp?ID_blog=33&ID_articolo=185&ID_sezione=260&sezione=News

http://www.repubblica.it/2007/01/sezioni/spettacoli_e_cultura/
manuale-amore-2/manuale-amore-2/manuale-amore-2.html

パート2は、撮影中から既に、ベルッチとスカマルチョの濃厚なラブシーンが話題となっていた。
そして、いよいよ公開となったわけだ。
記者会見での監督の話として報じられているのは、前回の話は、いずれも(オムニバス形式で4話あった)30年前にあってもおかしくないような恋愛話だったのだけれど、今回は、時代を反映しているとのこと。
扱っているのは、人工授精によって子供を授かろうとするカップルの話やゲイのカップルの話、そして、話題となったベルッチとスカマルチョの話は、障害者の性について扱っている。他にも、50代の中年男と20代の若い女の子の恋愛話もあるらしい。
さらに、このシリーズは、全5作で完結するそうで、今後の予定としては、パート3は恋愛における親子関係をテーマにするそうだ。パート4と5は、別れ話がテーマになるらしい。
第1作を見た感想は、以前も書いたけれど、コメディでありながら、ほろっとさせられ、そして元気がでる映画だった。
この2作目も、イタリア映画祭で上映されるといいんだけどな。
特に、50男と20代の女の子の恋愛話は見てみたいなぁーーー、元気が出るかもしれないし、、、、
posted by tady at 21:23| ローマ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月13日

長い散歩

今日「長い散歩」を見てきた。
映画評とか見てて、ちょっと気になっていた。
老人と子供の話らしいってことは分かっていた。
今の日本社会を代表する二つの問題である。
監督の奥田暎二には、全然興味がなかったんだけど、主演の緒形拳には興味があった。
期待が大きかった分、ちょっとがっかり。それでも、寝不足で行ったのに、寝なかったのは、それなりにいい映画だったのかも、、、

ストーリー的には、矛盾が多くて、破綻している。
まあ、いろんな問題を盛り込みすぎたせいかもしれない。
何よりも良かったのは、虐待され、緒形拳と旅に出る子供「サチ」だった。
この映画は、彼女の存在で持っている。
それと、松田翔太が良かった。一瞬、横顔が松田優作に見えて、ドキっとした。

虐待されている5歳の子供「サチ」が全てを救っているのだが、これは「大人」が作った映画として、納得がいかない。
矛盾に満ちた現代社会の救いを、純真無垢な(と大人が思い込んでいる)子供に求めるって設定が嫌だ。

子供に救いを求めてどうすんだよ? お前ら(僕ら)大人がしっかりしなきゃダメだろ? って思った。
僕もその一人であるのだが、、、、
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2007年01月03日

インディ・ジョーンズ4 2008年5月公開

製作が難航していたインディ・ジョーンズ4の撮影が、今年の7月から開始されることになったらしい。
1月2日に公式サイトで発表された。
http://www.indianajones.com/community/news/news20070102.html
公開は2008年5月の予定。
脚本はDavid Koeppが担当。
Spielbergは「ジョージもハリソンも僕も脚本の出来に興奮している。待った介があった」と述べている。
David Koeppは次のような作品の脚本を書いている。
http://movie.goo.ne.jp/cast/33164/index.html

しかし、ハリソン・フォードもかなりのお歳だから、どんなアクションシーンになるんだろうか?
まだ、1年以上先だけど、ちょっと楽しみなニュースだ。
posted by tady at 14:13| ローマ | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月30日

モレッティ辞める

やっぱりなっていう感じですが、トリノ映画祭の運営を巡って、旧主催者と新主催者がもめてるようだ。
芸術監督への就任要請を、誇りに思うと受け入れていたモレッティが、辞退しました。
http://www.corriere.it/Primo_Piano/Spettacoli/2006/12_Dicembre/29/moretti.shtml
「私が芸術監督に就任することで、トリノ映画祭を手助けすることができると思っていたのだが、それは勘違いだったようで、自分の存在が事態をより悪化させているようなので、監督就任は辞退する」そうだ。
互いに譲らず、同じ町で同じ時期に対立する二つの映画祭を開催するという話まで出てきたらしい。
モレッティは、昔からこの映画祭に注目し、愛してもいたので、お手伝いしたいって気持ちだったらしいが、結局は、トリノ映画祭の独立性を妨害しようとする政治家たちの道具として自分が使われそうになったといことらしい。
文化と政治は切り離せないところがあるにしても、文化を政治の道具として使おうって言うのはやっぱり間違っている。
政治を文化の道具として使うのであれば、良いと思うんだけどね。

posted by tady at 06:09| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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