2011年05月19日

イタリア映画祭2011 その14 まとめ

ようやく、今年のイタリア映画祭で見た11本の映画の感想を書き終わった。

一番印象に残っているのは、「われわれは信じていた」だ。リソルジメント前後の歴史をもう一度勉強し直してから、再度見てみたい作品である。

「星の子どもたち」も良かった。現在の政治の状況に対する欲求不満を、コメディと言う形で表現していて、現実はなかなか変わらないけれど、見終わって、ちょっと気持ちが明るくなる映画だった。

一方「ロバの美」と「もう一度キスを」は、イタリアの50代、40代の人間関係を描いていて、社会というよりも、個々人の置かれている状況みたいなものを垣間見ることができた気がする。

そういう意味では「ぼくたちの生活」も、現代イタリアの様子が分かる作品であった。

「アルデンテな男たち」は、同性愛と言う問題を中心に置いて描いているってのは、イタリア映画として、新しいかな?

「キスを叶えて」は、実験的映画の趣きが強く、そこそこ面白かったけど、引き込まれるような面白さではなかった。

「穏やかな暮らし」と「初任地にて」は、今まで見たことがあるような内容で、いまいちだった。

「ラ・パッショーネ」は、劇中劇ってことで、前回のイタリア映画祭で上映された「それもこれもユダのせい」に似ている感じがあって、二番煎じかな。

「はじめての大切なもの」は、ステファニア・サンドレッリの演技だけで、満足。

後、今回の映画の多くで、音楽が重要な役割を果たしているって気がした。「星の子どもたち」も「はじめての大切なもの」も、かつてのヒット曲から取られているし、「ぼくたちの生活」の中のヴァスコ・ロッシの歌も重要な役割を果たしていた。
ジョヴァノッティの音楽も使われていたのだけど、どの作品だったか思い出せない。

映画祭のプログラムには、監督へのインタビューや俳優の経歴などが掲載されているし、それぞれの映画のキャストなど大まかな内容はでているのだが、使われた音楽とかは、詳しく出ていないので、その辺も充実してもらえると嬉しいなぁ。

ということで、今年のイタリア映画祭の報告はこれにて終了。
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イタリア映画祭2011 その13「初任地にて」

原題「Il primo incarico」。監督Giorgia Cecere。イタリア映画祭には、初登場の監督だ。ストーリーは、1950年代の南イタリアが舞台で、新任教師として、寒村に赴任する女性ネーナが主人公である。
第2時世界大戦が終わり、君主国家から共和国に変わったイタリアだが、貧富の差は未だ歴然と残っている時代の話だ。
中流家庭出身の主人公ネーナには、裕福な一族出身の恋人がいた。しかし、彼女は、自らの生き方を貫くために、教師となり、一人寒村の小さな小学校へと赴任する。
そこで待っていたのは、よそ者をなかなか受け入れてくれない村人であり、言うことを聞かない子供たちだった。
それでも、恋人からの手紙を励みに、苦手な料理を覚えつつ、日々の生活を送っていくのだが、ある日、その恋人から、別の女性に惹かれているという手紙が届く。
落胆し、自暴自棄になった彼女は、飲めない酒を飲み、酔った勢いで、村の若者の家に押しかけて一夜を過ごしてしまう。
誰にも見られていないと思っていたのだが、目撃した村人の口から、その話が広まってしまう。女性に対する貞操観念の強く残る南部の田舎においては、結婚するしかなくなってしまう。

学歴もなく、村の土木作業を行っている若者と結婚をしたものの、打ち解けることはなく、暗澹たる思いのままに、日々が続いてく。
そんな中、実家に里帰りした折に、かつての恋人と出会う。カトリックでは、離婚はありえないので、結婚そのものを無効にすることで、不本意に押し付けられた結婚を解消し、自分の元に戻ってくるようにと元恋人は言うのだが、彼女は、再び村に帰る道を選ぶ。

教育水準の低い村に、インテリの教師が入って、、、という話は、これまでも何度か見たような気がする。そんなわけで、あまり新鮮味はない映画だった。

後半の、主人公とその夫との関係が、徐々に親密になっていくあたりは、ちょっといい感じだったのだが、もう少しうまく描いてくれればなぁーってのが感想。
それと、主人公の上から目線で描かれているのが、ちょっと気になった。
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2011年05月16日

イタリア映画祭2011 その12「はじめての大切なもの」

原題「La prima cosa bella」。監督はPaolo Virzi。彼もまた、イタリア映画祭の常連監督と言っていい。主演は、Valerio Mastandrea。自信の持てない中年男を熱演している。しかし、なんといっても、この映画の見どころは、主人公の母親を演じたステファニア・サンドレッリだろう。

ミラノで、国語教師(イタリア語の教師)をしている主人公のブルーノは、自分に自信が持てず、生徒から麻薬を譲ってもらって公園でボーっとするのが、唯一の息抜きというような、怠惰な生活を送っている。しかし、何故か、同居している活動的な女性は、そんな主人公に魅力を感じている。だが、踏ん切りがつかない主人公は、結婚まで至っていない。
そんな中、妹から、母親が末期癌で入院しており、もう先は長くないと知らされ、故郷のリヴォルノへ見舞いに行くことになる。
彼が人生に対して、消極的なその原因は、あまりの自由奔放天真爛漫だった母親にあった。

1971年の夏に、リヴォルノの海水浴場で行われたミスコンの余興として行われた、魅力的なミセスコンテストで、優勝した母親は、お堅い夫から、浮気するのではないかとあらぬ嫉妬を受けて、別居してしまう。彼女は、当時幼かった主人公と彼の妹を養うために、女の魅力を武器に仕事を得るのだが、それはまさに男を渡り歩くような生活。
高校を卒業すると同時に、そんな母親から逃れたくて、主人公は故郷を捨てる。

末期癌の母親は、年老いてなお、自由奔放で、見舞いに来た息子と病院を抜け出して、夜の町に遊びに出てしまう。
そんな母親を見ながら、過去の記憶をたどり、自分の人生を見つめ直す主人公。

死が迫る中、母親は、ずっと世話になっており、彼女を崇拝していた家の管理人の男性と結婚を決意し、ベッド上で結婚式をあげる。結婚式に招待する人の中には、子どもの出来なかった地元名士の夫婦に頼まれて、その夫婦の子として、彼女が産んだ弟もいた。
母親は結婚式直後に他界してしまう。

タイトルの「La prima cosa bella」は1970年にヒットした歌から取られており、劇中で何度も流れる。

1971年から現在まで、行ったり来たりするので、話の筋を追うのが大変かも知れない。
自由奔放に生き、最後に皆に看取られながら死ぬというのは、なんと幸せなことなんだろうと、思ってしまった。
母は強しって映画だが、老いてなお美しいステファニア・サンドレッリがとってもよかった。
イタリアのマンマはやっぱり偉大だ。
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2011年05月14日

イタリア映画祭2011 その11「穏やかな暮らし」

原題「Una vita tranquilla」。監督はClaudio Cupellini。主演は、いつも渋い演技を見せるToni Servilloだ。

映画は、如何にもイタリア南部出身の悪そうな若者二人組みが泊まるホテルで起きたガス爆発から始まる。
なんらかのヤバそうな計画を企てていた二人組みは、この爆発事故により予定が狂い、ドイツに住んでいるイタリア人の元に身を寄せる。
彼は、ドイツ人と結婚し、男の子が一人おり、地元で結構栄えているレストランを経営している。その彼の穏やかな暮らしに現れた若者たち。
平穏な暮らしに過去の暗い影が忍び寄ってくる。
かつてイタリアの犯罪組織に属していた彼は、イタリア離れ、偽名を使うことで、過去を消し去ってきたはずだった。ところが、、、、

っていうのが、大体のお話。なんとなくどこかで見たようなプロットで、ハラハラドキドキの盛り上がるサスペンスって感じでもなく、淡々と話が進んでいく。Servilloの演技は、いいのだけれど、映画としてはいまひとつだった。

ただ、以前読んだイタリアの新聞記事などによると、マフィアやカモッラといった犯罪組織は、イタリアのレストランの50%をコントロールしてるそうで、現実にありえそうな話ではある。サッカー選手の獲得競争などで、巨額の金が動くところには、やはりマフィアが関わっているとも言われていて、日本選手なんかもカモにされる可能性があるなんて話しも、以前耳にしたことがある。ナポリに行ったマラドーナが、麻薬漬けにされちゃったのは有名な話だけど、、、、

ナポリの犯罪組織カモッラを描いた小説、Gomorraを読んでしまうと、この程度の話では驚かなくなってしまう。「死都ゴモラ」の邦題で、翻訳もされている。一方映画化された作品は、東京国際映画祭とイタリア映画祭で2回上映されているが、いよいよ今年の秋から一般公開になるらしい。
そういった予備知識を持って、この作品を見ると、忍び寄る影の怖さが一層増すかもしれない。
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2011年05月11日

イタリア映画祭2011 その10 「もう一度キスをして」

ようやく、映画祭最終日5月4日に見た映画にたどり着いた。3日間で11本の映画を見るってのは、かなーり疲れるけど、その感想をブログに書くのも、なかなか大変w原題「Baciamiancora」。監督はGabriele Muccino。ハリウッドに進出して、「幸せのちから」なんて映画も撮っている。
今回の作品は、2001年の発表された「最後のキス(L'ultimo bacio)」の10年後を描いた続編ってことらしい。残念ながら前作は見ていない。
主人公のカルロは、結婚9年目で、妻のジュリアとは離婚調停中で別居しているが、離婚前だけどそれぞれ別のパートナーと暮らしている。別れ話の原因は、如何にもラテン男って感じのカルロによる数々の浮気だった。一人娘は、その両親の家の間を行ったり来たり。離婚の多いイタリアでは、当たり前の風景だが、日本だとかなり奇異に感じるかもしれない。
カルロには、幼友達がいて、結婚後も夫婦同士での付き合いが続いている。
そんなある日、生まれたばかりの子どもと妻を置いて、10年間失踪していた友人アドリアーノがイタリアに戻ってくる。旧友たちは、連絡を取り合い再会するのだが、皆、問題を抱えている。
カルロとジュリアは離婚調停中。マルコとヴェロニカは、子どもが出来ず、妻のヴェロニカはノイローゼぎみ。アドリアーノの別れた妻リヴィアは、元夫の友人であるパオロと付き合っているが、パオロはうつ病に悩んでおり、精神状態が常に不安定。未だ未婚のアルベルトは、若いころの夢が捨てられず、ブラジルへの移住を考えている。

先に紹介した映画「ロバの美」が、50歳代のイタリア人たちを描いているとすれば、この映画は、40歳代のイタリア人たちを描いている。
好きなのに嫌い、嫌いなのに好きっていう、難しい男女の感情が、様々な設定で描かれていて、どこか身につまされたり、思わず頷いてしまうような場面のある。
ラストシーンでは、50代、60代、70代になったときに、どんな風になっているだろうというような台詞がでてくるのだが、もしかしたら、10年後に、この続編が撮られるのかもしれない。

「ロバの美」と合わせて見ると面白いかも知れない。大人になれない大人たちの映画である。
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2011年05月09日

イタリア映画祭2011 その9「われわれは信じていた」

原題「Noi credevamo」。監督はMario Martone。この映画は、今年がイタリア統一150周年にあたるため、それを記念して作成されたものらしい。内容は、イタリア統一前夜から統一直後までを描いたもので、イタリアの当時の歴史を知っていないと、訳がわからないかもしれない。
ある意味、1976年のベルトルッチ監督が撮った316分の大作映画「1900年」、2005年にマルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督が撮ったこれも366分の大作映画「輝ける青春」の系譜につらなる映画と言っていいだろう。長さは170分。
「1900年」が、イタリア統一後の1900年代初頭から第二次世界大戦終了までを描き、「輝ける青春」が、1960年代から2000年ごろまでを描いていたのに対し、この作品はそれ以前の1828年から、イタリア統一がなった1861年の後の1862年までを描いている。

イタリア統一のために、共和制を目指した人々や、君主制を求めた人々など、様々な運動があったことがよくわかる。同時にまた、当時のイタリア(統一前なので、国家としてのイタリアは存在していないが、イタリア半島に統一した国家をつくろうとしていた)における、南北の問題、貴族や農園主と小作農や貧しい人々の関係も、つぶさに描かれている。ショッキングな処刑場面なども出てくるのだが、いわゆる紙に書かれた歴史書では、わからない当時の状況が、映像化されることにより、具体的に理解できる。

年代が1828年から1862年と幅があるので、主人公を演じる役者も途中で変わるのだが、後半の主人公を演じたルイジ・ロ・カーショは、渋い演技を見せていた。

タイトルの意味は、ラストシーンで、主人公が語る言葉となっている。「われわれは信じていた」と過去形なのは、イタリア統一を信じて、戦ってきたのに、出来上がった統一国家は、信じていたものとは違っていたという意味でもあり、統一のために途中で死んで行った仲間たちを含めて「われわれ」であるってことなのだ。

3時間弱の映画だったが、その長さをまったく感じさせない、密度の高い作品であった。

イタリア統一前後の思想家たちや活動家たちのことを知っていないと理解が難しい映画なので、日本で公開されることは、あまり期待できないが、例えば、同じ時期の幕末から明治維新にかけての、坂本龍馬や新選組、勝海舟やら西郷隆盛の時代を描いた映画が、外国人に理解されるかというと、それはかなり難しいのと同じだろう。

DVDとして発売されたら、イタリアの歴史を勉強するつもりで、何度か見ているといいかもしれない。日本語の解説冊子でもつけてくれると嬉しいけど、、、、、
posted by tady at 21:36| ローマ | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イタリア映画祭2011 その8「僕たちの生活」

原題「La nostra vita」。監督は、Daniele Luchettiだ。主演しているのはElio Germano。彼の出演した「Nー私とナポレオン」や「犯罪小説」は見ている。なんか線が細い感じだったのだけれど、今回の作品では、いい感じに逞しくなっていた。

ストーリーは、二人の子どもを持ち、3人目の出産を控えた妻と実に仲睦まじい生活を送っている主人公クラウディオは、ビルの建築現場で働く、現場監督であった。
ある日、偶然にも、建設現場のエレベーターシャフトの下で死体を発見してしまう。しかし、それを警察に届け出れば、サ行がストップし、納期に間に合わなくなってしまう。良心の呵責を感じながらも、見て見ぬふりをしてしまう。
一方、急に産気づき、妻を車で病院に運び、第3子の誕生を待っている彼にもたらされたのは、子どもの誕生とともに、妻が亡くなったという知らせだった。
3人の子どもを抱え、一人取り残される主人公。悩んだ挙句、決心したのは、発見した死体の話をネタに、元請けを強請り、下請けさ行を発注させ、金を稼ぐことで、心の空白を埋めようということだった。
下請け作業を請け負っても、元手の金が必要となる。主人公は、その金を近所に住む麻薬の売人をしている友人から借りる。
作業は思うように進まず、働いているのは、不法滞在をしている外国人労働者ばかり。そこに、貸した金をすぐ返してくれないと殺されるという電話が、麻薬の売人から入る。
労働者たちへの支払いを、返済に回すのだが、ついに資金繰りが出来なくなり、労働者たちは現場を放棄してしまう。
そんな時に手を差し伸べてくれたのが、兄弟たちであった。

現代イタリアの低所得者層の人々の、ありうべき日常を描いているといってもいい映画なのんだろう。ビルの建設における手抜き作業。不法滞在している高学歴な外国人現場労働者。真面目過ぎる故に50になっても結婚できないでいる主人公の兄。などなど

印象に残ったのは、第3子の名前をヴァスコと付けるのだが、これはイタリアの有名なロック歌手ヴァスコ・ロッシから取られていて、映画の中の、妻の葬儀のシーンでは、彼の歌「anima fragile」を、主人公が泣きながら絶唱する場面がある。
映画の内容、そのままの歌で、改めて聴き直してみたいと思った。
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2011年05月07日

イタリア映画祭2011 その7「キスを叶えて」

原題は「I baci mai dati」。直訳すると「与えられなかったキス」となる。監督はRoberta Torre。
ストーリーは、イタリア南部の都市近郊に住んでいる中学生の女の子が主人公。団地の広場に建てられたマドンナ(聖母マリア)像の除幕式から映画は始まる。広場でサッカーをして遊ぶ若者たちのボールが、像の頭部にあたり、壊れてしまう。若者たちは、落下した頭部を近くの家の物置に隠してしまい、その行方を神父たちが探すのだが、一部始終を窓から見ていた少女は、夢のお告げがあったと、隠し場所を神父に伝える。
マドンナの夢のお告げ=奇跡であるとして、少女は一躍町の有名人となり、神の救いを求める人々が彼女の元に殺到する。
母親はそれを利用して、金儲けに走り。擦り寄ってきた地方議員と懇ろの関係にもなってしまう。
一方、主人公は、渦中の真っ只中にありながら、大人たちの騒動を冷静に見つめている。
そんな彼女の元に、盲目の少女が一人やってくる。ある精神的ショックから、目が見えなくなってしまったのだ。
主人公は、大人に踊らされていると皮肉を込めて言う盲目の少女も、主人公が決してそうではないことを理解し、やがて心を開いていく。そして、、、、

映像は、端々にフェリーニの影響が見られる。主人公がアルバイトするヘアサロンなんか、実にフェリーニっぽい。
また、うるさい大人たちから、身を守るために、主人公は常にヘッドフォンをして音楽を聞いていたりするのも、面白かった。
タイトルの意味は、母親の愛情を求めつつも、それに気づいてくれない傷つきやすい思春期の少女と、自分の過ちに気がつき、娘を抱擁する母親の関係を表したもの。

ちょっと疲れる映画だったけど、神に救いを求める人々の模様が、描かれていて、これも現代イタリアの一側面なんだろうなぁーってことがわかって、改めて今のイタリアの有り様を考えてしまった。政治状況も含めてね。
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2011年05月06日

イタリア映画祭2011 その6

4月30日に4本映画を見た後、次に出かけたのは5月3日だった。最初の1本は、既に見ていたので、2本目から観に行った。
この日見たのは、
「キスを叶えて」 原題「I baci mai dati」
「僕たちの生活」 原題「La nostra vita」
「われわれは信じていた」 原題「Noi credevamo」
の3本。
この日の作品は、3本とも、かなり充実していて、見応えがあった。中でも、3時間弱という長い映画にも関わらず、引き込まれるように見てしまったのが、「われわれは信じていた」だった。
詳しい内容については、一つずつ、紹介していく。

1日に3本から4本の映画を見るのは、かなりしんどいけれど、集中して見れば、その時間だけで終わるのだけれど、ブログの記事にしようと思うと、思い出しながら、時間を見つけて記事にしていくことになるので、ちょっと時間がかかる。
記憶が薄れないうちになるべく早く、アップしていくので、お待ちください。
posted by tady at 01:26| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月04日

イタリア映画祭2011 その5「アルデンテな男たち」

原題は「Mine vagante」。邦題も仮題となっているが、既に日本公開が決まっているらしく、一般公開時には、別のタイトルになるようだ。原題の意味は、浮遊機雷である。その意味は、劇中で明らかになっている。監督はイタリア映画祭の常連といってもいい、トルコ出身のFerzan Ozpetekだ。

南イタリアのレッチェから、ローマの大学に出てきた主人公のトマーゾ(演じているのは、若手二枚目俳優として人気の高いScamarcio)は、親に3つの隠し事があった。一つ目は、親の経営するパスタ工場を継ぐべく、経営学を勉強するためにローマに出てきたのだが、文学部に入ってしまったこと。二つ目は、親の後を継ぐ気はなく、作家になりたいと思っていること。そして三つ目が、ゲイであり、同棲している彼氏がいることだった。

夏に実家に帰省したおり、これらの隠し事を親に告白する決心をしていたのだが、一族が集まり、晩餐が行われている中、彼が意を決して告白しようとすると、兄であるアントニオが、先に、自分はゲイであることを告白してしまう。
保守的な南部で、それも大きなパスタ工場を経営する地元の名士でもある父親は、それを聞いて卒倒してしまう。
男は、妻を娶り、愛人を囲うのが当たり前だと思っている、男尊女卑思想の持ち主である父親は、即座にアントニオを勘当する。しかし、その後も、アントニオがゲイであることが世間に知れ渡ると、自らが大恥をかくことになると、ノイローゼにもなってしまう。

弟であるトマーゾは、自分までもがゲイであることを父親が知れば、ショックのあまり死んでしまうだろうと、告白を思いとどまり、兄の代わりに、倒れた父の後を継ぎ、会社の経営に携わることになる。
おりしも、会社では、他の会社との合併が進んでおり、共同パートナーとなった一族の娘アルバと、一緒に会社の運営を任されることになる。
実は、彼女も心に傷を抱えており、彼氏ができない。ゲイのトマーゾとの奇妙な友情関係が育まれていく。

そんな彼らの様子を、暖かい目で見守っているのが、祖母であった。彼女には、愛していた人から引き離され、その人の兄と結婚させられたという過去あり、年老いてなお、自らの若かりしころの決断に納得できずにいた。それゆえなのか、祖母は、エキセントリックなところがあり、回りからいつ足元に来て、爆発するかわからない浮遊機雷と呼ばれていたのだ。

孫たちの気持ちを一番理解していた祖母は、糖尿病を患っており、遺書を残して、大量のケーキを食べて自殺してしまう。
最後には、祖母の死により、ゲイの息子達を受け入れる決心をする両親であった。

未だに男尊女卑思想の残る南部の大家族の様子が面白おかしく描かれており、かなり笑える。
また、仲良く寄り添うトマーゾと恋人のマルコを優しく見つめるアルバが印象的だった。
イタリア若手俳優の中でも、セックスシンボルと言われ、「恋愛マニュアル2(邦題は、「モニカ・ベルッチの恋愛マニュアル」)では、ベルッチと濡れ場を演じていたりするScamarcioが、ゲイを演じているのも面白い。

いずれ日本でも一般公開されるようなので、機会があったら、見てみてください。かなりネタバレになってるけど、、、
posted by tady at 23:58| ローマ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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