2011年05月04日

イタリア映画祭2011 その4「ロバの美」

原題は「La bellezza del somaro」。監督は、俳優でもあるSergio Castellittoだ。2007年のイタリア映画祭で上映された、Gianni Amelio監督作品「星なき夜に」で、中国を旅するイタリア人技師を演じた彼が印象に残っている。今回の作品では、監督と主演を努めている。

Castellittoが演じる主人公マルチェッロは建築家で、妻は心理セラピスト。10代の一人娘ローザがいる。50歳を迎えた彼は、職場に愛人がいるものの、物分かりのよい進歩的な父親を自認している。そして妻であるマリーナも、カウンセリングに来る患者を大切に思う医者であり、娘を理解している母親であると思っている。
同年代の友人の息子と娘が付き合い、寝ていることを薄々分かっていても、鷹揚に理解を示しているのだが、、、、
秋のバカンスに、トスカーナにあるマルチェロ夫妻の別荘に、友人達を招き、泊まり込みのパーティーを催すことになる。マリーナは、患者を放って置けないとカウンセリングをしている患者まで招待する。二組の友人夫妻とその子どもたち、マリーナの母親などが集まる中、娘のローザを訪ねて、彼氏がやってくるのだが、なんとそれは70歳を越えたおじいさんアルマンドであった。
当初、友人の息子と別れたという娘が、同級生の黒人(彼もイタリア人の養子という設定になっている)と付き合い始めたのではないかと気を揉んでいたマルチェロとマリーナだったが、人種差別はよくないという思いから、受け入れようと思っていたのだが、登場した娘の彼氏を見て仰天してしまう。
本音と建前の間で揺れ動く両親を、厳しく批判する娘。一方で、彼の方は、淡々と落ち着いた態度で人々と接し、豊かな人生経験とその人柄で、回りの人をたちまち虜にしてしまう。
動揺する人間達を、静に見つめるように、ロバのシーンがあちこちに挿入される。

体面を取り繕い、本音を隠して建前を演じようとする大人と、悩みながら成長していく子どもたち。それら全ての人々と対等に接するアルマンドと遠くから事の成り行きを見守るロバ。

50代のイタリアの大人たちの有り様と、そんな親たちに育てられ、乗り越えていく子どもたちの現在を笑いを交えて、実にうまく描いている映画だった。

今から15年ほど前に、僕がイタリアにホームステイしていたときの家族を再訪し、そこの娘さんと彼女の友人たちと話したことがあった。当時、彼らはまだ、10代後半だったのだが、既にイタリアの離婚率は高くて、10代の子どもたちの親の多くが離婚していたり、その後、恋人ができたりで、実に複雑な家庭環境にいる子たちが多かったことを思い出す。そんな彼らももう30代のはず。
そう思うと、この映画で描かれている家族関係っていうのは、まったくの映画的フィクションではなく、かなり現実に近いものなのではないかと感じた。
子どもたちが、親たちを非難するシーンは、まさにその通りと、手を叩きたくなるほどだった。
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2011年05月03日

インビジブルレイン 読了

誉田哲也の「インビジブルレイン」を読み終わった。僕は始めて読む作家だが、姫川玲子シリーズの1冊らしい。
単独の小説として読んでもそこそこ面白かった。
女性刑事姫川とヤクザ牧田との関係がなかなかよかった。
まっとうなヤクザというと変だけれど、正義感のあるヤクザって設定は、ちょっと新鮮。
メインの登場人物の一人が自殺に追い込まれる下りは、書き込みが足りなくて、説明不足かな。
とりあえず、この作家の作品が目についたら、次も借りてみようかなってくらいの満足度だった。
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ふがいない僕は空を見た 読了

窪美澄の「ふがいない僕は空を見た」を読み終わった。この作品は5篇からなる短篇連作で、最初の1篇である「ミクマリ」は、第8回「女による女のためのR‐18文学賞」大賞作品だそうだ。R-18ってだけあって、この作品は、高校生と、不妊に悩む暗い過去を持つコスプレ好きの主婦とのアブノーマルなセックス描写があるのだが、本全体としては、それは単なる導入部に過ぎず、読み進むうちに、性、妊娠、出産を巡る人間の有り様が浮き上がってくる。後半の2篇「セイタカアワダチソウの空」と「花粉・受粉」は、実に切なく、重い。
読み始めに感じた高校生の性を扱ったエロ小説って印象は、見事に裏切られ、良い作品を読んだなぁーという読後感が残った。
2011年の本屋大賞第2位になっているそうだが、それもうなづける。
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イタリア映画祭2011 その3「ラ・パッショーネ」

原題もそのまま「La Passione」なのだが、いわゆる情熱という意味ではなく、定冠詞がついているし、これは「キリストの受難」って意味になる。監督はCarlo Mazzacurati。イタリア映画祭の常連監督と言ってもいいかもしれない。主演はSilvio Orlando。イタリア映画には欠かせない名優と言っていいだろう。重要な脇役には、「星の子どもたち」で、左翼かぶれの男を演じていたGuiseppe Battistonがいる。
売れない監督として、5年も新作を出していない主人公(なぜか名字はイタリア人ではなくDuboisで、これがまた重要な意味を持っていたりする)は、プロダクションから、新作のプロットを早く出すようにせっつかれている。ところが、彼が所有する貸家で水漏れがあり、下の階にある歴史的な壁画にダメージを与えてしまう。原因は、彼が管理を怠ったために、水道管が腐食していたからだ。
その家があるトスカーナの田舎町の市長(ステファニア・サンドレッリが演じているが、年をとっても美しい)は、かつてその町に住んでいた伯爵が行っていた聖なる金曜日の「キリストの受難」劇を演出してくれれば、文化財省への告発は行わないという条件を出す。
売れない監督は、致し方なく、その条件を受け入れざるを得ないくなるのだが、その一方で、新しい作品に、テレビドラマで売れっ子の女優の出演が決まり、新作の製作を早急に進めなくてはならない状況に陥る。

そんな中、彼の代理として助監督を任されるのが、元窃盗犯で、刑務所で監督の講演を聞き、演劇の世界に目覚めたバティストン演じるラミーロだ。
左翼知識人を自認する監督は、キリストの受難劇などやりたくはなく、自分の新作の構想を練るのに忙しい。もっともその一方で、その町のバール(日本語的にいうとカフェ)にいるポーランドの娘が気になって仕方がない。

受難劇の実現に向けて奔走するラミーロ。長ゼリフは素人では覚えられないと、地元のローカルテレビ局で人気のある天気予報に出ている俳優に出演を依頼する。この男を演じるCorrado Guzzantiは、実に怪演。

本番当日、一生懸命演じる素人役者たちに触発され、さらに、主演を依頼した天気予報の俳優が、ちょっとした事故で出られなくなり、代役として登場したラミーロのひたむきさに、監督は熱の入った演出を始める。

最後の晩餐のシーンで、太り過ぎのキリストを演じるラミーロが座る椅子が壊れ、観客が笑い出すと、兵士の役をやっている若者が、真剣に演じる役者たちを代弁して、笑うなと訴えるのだが、そこがまた良い。ラミーロは、こんな太ったキリストはいないとメゲるのだが、監督は、もし現代にキリストがいたら、きっと太っているに違いないと慰める。ここも皮肉が効いていて笑えた。

映画監督が、映画をどう作るか悩むって内容の映画は、今までも数多くある。ナンニ・モレッティにもあるし、ウッディ・アレンにもあるので、パターンではある。また、左翼知識人がキリストについて論じるってのパターンだったりする。
そういう意味では、あまり新鮮さはなかったけれど、「星の子どもたち」のバティストンとこの作品の彼を見ることができて、その辺はとっても面白かった。
まあ、映画としては、そこそこだったけれど、、、、
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イタリア映画祭2011 その2「星の子どもたち」

原題は「Figli delle stelle]」。監督はLucio Pellegrini。邦題は直訳だ。タイトルは、1978年にヒットしたAlan Sorrentiの曲から取られているという。この映画を紹介しているこんなブログもあった。
http://kspacey.exblog.jp/14556699/
監督は1965年生まれだそうで、この曲がヒットしたころは、13歳ってことになる。
あらすじは上述のブログにも書いてあるが、出だしでまず、気を引かれたのは、Morte biancaって話。直訳すると「白い死」ってことになるんだけど、いわゆる銃撃戦などで、血を流す死とは違って、労災による死のことを指す。イタリアでは、労災による死者が多く、社会問題となっているのだが、この作品の背景には、そういった事実がある。
ある意味、とても重い社会問題を扱っているのだが、この作品自体は、コメディと言っていい。
港湾労働者が、クレーンから落ちて死亡したことに端を発して、テレビの政治バラエティ番組がそれを取り上げるが、そこに出席していた担当大臣が、如何にもイタリアの政治家って感じで、厚顔無恥に詭弁を使い、問題の本質をごまかしてしまう。
それに怒りを感じた労働者の仲間と、教師の職を失ってアルバイトで食いつないでいる反体制の男、そして何の罪で服役していたのかは明らかではないのだが、釈放されたばかりの男の3人が、その政治家を誘拐することを決意する。
湯気が立ちこめる公衆浴場で、その政治家を誘拐しようとするのだが、覆面をして良く見えないままに誘拐したのは、まったくの別人。
当初、誘拐の目的は、その厚顔無恥な政治家を懲らしめようという正義感からだったのだが、別人を誘拐してしまったことから、迷走を始める。
面白かったのは、元教師が、誘拐を行った後、自宅に帰ると、そこには警官がおり、犯行がバレたのかと驚くのだが、実は連絡のつかない息子を心配して、捜索願を出した母親のところに来ていたのだった。その時の元教師のセリフが「僕はもう38にもなるんだから、自分のことは自分でできる。心配なんかしないでくれ」っていうのが、とても笑えた。その一方で、息子の方は、ガンを患っている母親をとても心配しているんだけどね。この母親の癌ってのも、物語で重要な意味を持ってくるのだが、、、、
誘拐した人質の隠れ家として、家を提供していたのが、元教師の従兄弟にあたる人物で、いかにも現実にいそうな、左翼かぶれの革命を未だに信じている男なのだ。結婚している妻は、カトリックの信者だったりして、夢としての革命を追い求めているような、ある意味現実を見ていない男なんだけどね。
ローマにあった隠れ家がヤバくなり、移動した先は、例のテレビ番組の女性スタッフが所有するイタリア北部のスキーリゾートにあるマンション形式の別荘。そこには、昔懐かしいレコードがあり、そこで流れるのがタイトルともなった1978年のヒット曲だ。
誘拐がバレないように密かにことを運ぼうとするのだが、村人の知るところとなってしまう。さあ大変って話になるはずが、村人達もイタリア政府の政策に不満を持っており、みんなそろって仲間にして欲しいと言い出す。目当ては身代金。
この辺もイタリア人気質が出ていて面白かった。ほんとか嘘か定かではないが、僕が以前聞いた話では、第二次世界大戦中、ナポリに侵攻してきたドイツ軍の戦車が、盗まれて、行方が分からなくなったことがあって、実は、住民たちが一晩のうちに戦車を分解して、それぞれのパーツを家に持ち帰り、戦車を隠してしまったってエピソードがあるそうだ。

現実の政治に不満を抱きつつも、民主主義のシステムではそれを解決し得ないと分かってしまったときに、法律を犯してでも、夢のような解決方法を夢見てしまう、大人になりきれない大人っていうのを描いている映画だと思った。誘拐という犯罪を描きながらも、そこにユーモアとペーソスがあるのは、イタリアの歴史の中で、例えばモロ首相誘拐暗殺事件やマフィアなどの犯罪組織による誘拐事件など、本当に悲惨な現実を知っているからこそかもしれない。
厳しい状況の中でも、社会正義の実現と皆が幸せに暮らせる社会という夢を忘れてはいけないよってメッセージを感じたのだが、、、、

日本で一般受けする映画かというと、それはちょっと難しいかも、、、でも、面白い映画だった。
posted by tady at 01:19| ローマ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月30日

イタリア映画祭2011 その1

今年は、4月30日、5月3日、4日と休みを取って、合計11本の映画を見ようと前売券を購入した。前売りが開始されたのが、震災のすぐ後で、福島第一原発事故がどのように進行していくのか不明だったので、場合によっては、東京まで放射能汚染が及んで、行けなくなるかもしれないなぁーと思いつつ、購入した。
原発事故はまだ収束はしていないものの、東京までは、深刻な汚染が及んでおらず、今日、映画祭に行ってきた。
昨日から始まった今年のイタリア映画祭だが、やはり原発事故の影響で、毎年来日していたイタリア人俳優や監督などのゲストは一人も来なかった。
今日見たのは、
「星の子どもたち」原題 Figli delle stelle
「ラ・パッショーネ」原題 La passione
「ロバの美」原題 La bellezza del somaro
「アルデンテな男たち」原題 Mine vaganti
の4本。
1日で4本も映画を見て、ヘロヘロで、加えて明日は早番で、5時起きなので、詳しい内容については、後日。
posted by tady at 23:06| ローマ ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月26日

やっぱりね。

イタリアは、チェルノブイリ事故のあと、国民投票によって脱原発を決め、原発のない国となった。G8の国の中で、唯一原発のない国でもある。ところが、ベルルスコーニ政権は、この間ずっと原発再開を主張して、候補地選定などを行ってきた。
国民は、この政府の方針に対して、再び国民投票を行うことで、その是非を問おうとしていた。
国民投票を実施するための署名活動を行い、裁判所もそれを認める決定を下し、6月2日に国民投票が行われることになっていた。
だが、今回の福島での原発事故により、政府は、1年間、原発再開を中断する決定を下した。
http://www.ilmessaggero.it/articolo.php?id=146296&sez=HOME_INITALIA&ssez=PRIMOPIANO

これにより、国民投票で是非を問うべき政府の方針が変わってしまったわけで、国民投票自体が意味のないものとなってしまった。
だが、イタリアの反原発派の人たちは、原発開発を推進するという政府の方針が変わったわけではなく、世論の様子を見ての時間稼ぎにすぎないと言っていた。

そして、当のベルルスコーニが、フランス大統領との会談の後、はっきりと言っちゃったんだな、これが
http://www.repubblica.it/politica/2011/04/26/news/nucleare_scelta-15395251/

彼は、「もし、福島の事故により動揺している国民が、国民投票を行えば、イタリアの原子力開発は長年に渡って中断されることになるだろう。だから、それを避け、2年後には再び原子力開発ができるようにするモラトリアム期間を設けたのだと」言っちゃったんだな。
フランスのサルゴジ大統領は、イタリアが原子力開発を再開するのであれば、フランスは協力を惜しまないと述べたらしい。
はなから、見え見えではあったのだけれど、こうまであからさまだと、ベルルスコーニ首相は、イタリア国民をバカにしているとしか思えない。
これを言っちゃうベルルスコーニは、正直者なのか、おバカさんなのか、そっちも問題だけどね。
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2011年04月24日

久々のデモ

今回の震災で、地震と津波の被害を受けた人たちのことを思うと、軽々には言えないのだけれど、現実的に、復興の最大の妨げとなっているのは、福島の原発事故であることは、否めないと思う。そんなわけで、実に久しぶりに、反原発デモに参加してきた。たまたま勤務シフトで、今日の日曜日が休みだったこともあるんだけど、、、
チェルノブイリ原発事故から25年
くり返すな!原発震災 つくろう!脱原発社会4・24集会&デモ
原発止めよう東京ネットワークが主催した集会で、芝公園に集合し、集会。その後、東電本社前を通って、日比谷公園までのデモであった。主催者発表では4500人の参加ってことだった。あくまでも主催者発表なので、実数はもうすこーし少ないはず、、、、

これは言ってはいけないのかもしれないけれど、イタリアなどでは、こういったことが起こると、少なくとも数万単位。場合によっては数十万単位で人が集まるのが常なので、1万人くらいは集まるのではと思っていたのだけれど、やっぱりここは日本であった。

かつて、チェルノブイリ事故が起きた後には、オーガナイズする側にも関わっていたこともあって、懐かしい顔もチラホラ。
会場入り口で、これもまた久しぶりに「革マル派」と名乗る若者がビラを配っていた。未だ存在しているってことに、びっくり。なんだか過去の遺物を見る思い出もあった。

今年がチェルノブイリ原発事故25周年ってことで、元々ロシアの人を招く計画だったものが、急遽福島原発事故に焦点をあてたものになった。
ロシアからのゲスト、パーベル・ヴドヴィチェンコさんの話のあと、福島現地の人たちからのアピールがあった。
それぞれ、訴えたいことは多々あったのだろうが、緊急の問題として取り上げられていたのは、文部科学省が出した通達撤回の訴えだった。
ほんとにこれは、とんでもない通達で、現在、オンライン署名も行われているので、是非多くの人に署名して欲しい。
http://blog.canpan.info/foejapan/daily/201104/23
署名の1次集約は、明日25日の23時までってことなので、お早くお願いします。

僕は、集会に行く前に署名したんだけど、集会で、現地の人の訴えを聞いて、ほんとに深刻なことだということを実感した。

デモは、団体の旗もあったけれど、多くの参加者は、どこにも属さない友達同士でやってきたって感じの人たちで、デモの最中のシュプレヒコールなんかも、慣れてないようで、ついつい、オイオイって言いたくなるものもあったけど、まあそれはそれとして、楽しく歩いた。
警備の機動隊も、乱闘服ではなく、普通の制服で、デモを規制する指揮車の上には、婦人警官までいて、時代の流れを感じてしまった。

デモを歩きながら思ったことは、原発を止めさせることと震災からの復興ってことをどうシンクロさせていけばいいのだろうってことだった。今回は、緊急の問題として原発を止めること、放射線規制値の引き上げに反対することを訴えたわけだが、これから復興に向けて、政治がどう動いていくのかを、ちゃんと監視して、被災者のマイナスになるような動きがあれば、市民として声をあげていく必要がでてくるだろう。
原発をここまで作ってしまったのは、自民党政権だったわけだし、今回の震災対応のひどさは、民主党政権の責任になるわけだが、それを監視し、糾すのは、市民の務めだと思う。それができないようなら、日本には民主主義はないってことになるだろう。
この震災をきっかけとして、大きなパラダイムシフトの変換が起きなければ、それこそ亡くなった方を含めて、被災者の方に申し訳ない気がする。それを実現するのもまた、政治ではなく、市民の力によると考えるのだが、、、、
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2011年04月23日

エデン 読了

近藤史恵の「エデン」を読み終わった。「サクリファイス」という小説の続編ってことだが、こっちは未読。
だから、正しい評価はできないのかもしれない。
ツール・ド・フランスを走る日本人サイクリストが主人公で、自転車レースにおける様々な駆け引きと、それにまつわる人間模様が描かれている。
前作を読んでいないので、なんとも言えないのだけれど、独立した作品として読んだ場合、ちょっと説明不足で、ひとりよがりって感じてしまう。まあ、ひとつの独特な世界を描いているのだから、基礎知識がないと分からないってのはあるのかもしれないけれど、、、
自転車レースを走る人間の心理描写は、そこそこ面白かった。ただ、どうも広がりを感じることができなかった。読者をぐいぐいと引きずり込むような、迫力に欠ける感じがした。
どうでもいい話を、力技で読ませてしまう作家ってのもいたりするわけで、それが良いとは言わないけれど、テーマがしっかりある作家のようだから、読ませるためのテクニックを磨くともっと面白い作品が書けるんじゃないかと思ってしまった。
posted by tady at 21:41| ローマ | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ソロモンの犬 読了

道尾秀介の「ソロモンの犬」を読み終わった。2007年の作品なので、比較的初期の作品ってことになるのかもしれない。
この人、こういう作品も書くんだぁって感じで読み始めた。
主人公よりも、脇役である間宮のキャラクターが立っている。
伏せんはちゃんと張ってあるんだけど、最後はちょっとなんだかなぁーって感じ。
今まで、作中であまり語られてこなかった人物が突然登場して、犯人になってしまって、そりゃないぜ!って感じだった。
posted by tady at 21:26| ローマ | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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